問題提起


私の知る限り、学校と呼ばれる場所で教わることというのは本当に実戦や実社会で役に立つのかという疑問が残ることがほとんどだと感じる。それは私が本業にしているテニスも含めて。

それは、教える形や内容があまりにも形式的で論理的でわかりやすすぎることに違和感を抱いているのかもしれない。確かに学校として教える内容は順序立てて形式的、論理的でわかりやすい方がいいことは否定しないが、あまりにもそれが先行しすぎて、そのわかりやすさが生徒のためだとは感じれないからだろう。

物事には必ずストーリーがある。それを時間的、順番的な分類をすると序盤、中盤、終盤と3つに分けることができる。私はテニスもレッスンも運営も全てを以下の基本に則って進めている。

序盤

相手の出方を見る(単なる後手に回っているのではなく、自分のやりたい手があるからこそ先にやらせている)

中盤

有利な状況にする(数的に、ポジション的に、心理的に)

終盤

寄せにいく(詰ますべきは詰ます。守るべきは守る、逃げるべきは逃げる)

 

物事の成長というのは時間をかけるべきであるというのが私の持論である。しかし私の持論と言いながら、その私ですら焦って、大切なことや必要不可欠なことをないがしろにしてしまうことがある。そういう失敗をする時というのはストーリーの中盤に面白さ、やりたい形、理想が見えていないときだと最近になってわかった。それと同時に学校と呼ばれる場所で教わることが、実戦、実社会で役に立たないのも同じような原因があるんだということに気づいた。中盤に面白さ、やりたい形、理想が見えないということは序盤も疎かになる。結局は終盤もいい結果が見えないのだが、こんなときに限って必要以上に終盤の結果のみが気になるという焦りも生まれる。

スピードは大切だ。それは確かに付加価値になる。しかし、それはあくまで丁寧に最後までやり遂げた結果が早いのであればいいが、雑に中途半端に終わらせて早く終わったという勘違いが増えているんだと思う。学校と呼ばれる場所は、教える方も新人の一年目から、10年以上やっている中堅と同じように指導できるようにプログラムされている。20年以上やっているベテランはそれに合わせることが求められている。教わる方も飛び級やずっと先に習うことを先にできるようにしておくことが学力だと勘違いしている。

それぞれ適切な時期に、たっぷりと時間をとってゆっくりと伝える、鍛錬するということが疎かにされている。その悪因は生徒側ではないとはっきりと言える。悪因は学校側、教える側、保護者などそれを取り巻く周りに、中盤の面白さがわかっていないからだろう。中盤の面白さがわかれば序盤を大切にする。中盤が上手くできれば、自ずと終盤に良い結果がついてくる。

今という時代は、その当たり前を当たり前に時間をかけることを許してはくれない時代なのかもしれない。ただ、その付けは必ず終盤戦に響いてくるんだけどね。

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