興味


私は頭がよくないと思っている。ただし自分だけの頭がよくないとも思っていない。人間はみな頭がよくないと思っている。だから難しいことは簡単に、簡単なことは難しくという考え方の基本は大切なんだろうと思っている。そう考えると頭がいいということ自体もちゃんとわかっていない。学校の成績がよければ頭がいいのか。お医者さんはみな頭がいいのか。大統領や総理大臣といった国の首長も頭がいいのか。国内年間被害額が40億円ほどある振込詐欺をやってる奴だって頭がいい。その詐欺にひっかかる被害者は頭がよくないのか。

現在、テニスというスポーツで最も強いのがジョコビッチ選手である。世界ナンバーワンにもなるような選手だから身体能力も相当いいとされているが本当だろうか。とくに柔軟性とバランス能力が高いらしい。ただこのような身体能力という観点で見るとNFL(アメリカのフットボールリーグ)の選手の方が遥かに高い。テニスに関わらずスポーツだってゲームなのだから頭がいい方が良いとされる。しかしスポーツにおいても運動神経がいいとは何のことか、身体能力とはどれを指すのか、ゲームに強い賢さとは何なのか…これらを明確に答えられる人は実は誰もいないのである。

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昨年のいつ頃からであろうか、息子たちが歴史に興味を持ちだした。とくに私が何かを仕掛けたわけでもない。はじめは漫画日本の歴史を読んでいただけだったが、今ではその巻の年表を見るようになっている。また、自由帳に武将の絵を描くようになったり、人形で合戦時の陣形を並べて遊んでる。

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学校の勉強でも歴史というものを教えられる。テストには何年に〇〇幕府が開かれたとか、〇〇という制度がはじまったというものを暗記しておかないといけない。私は歴史についての深い解釈ができるのでわかるのだが、学校で教わった歴史には間違いや嘘が多い。勝海舟が江戸城無血開城の立役者、秀吉が信長の仇を討った、義経が崖を降って平氏を奇襲した…みんな嘘である。歴史なんてものは過去の事実から学ぶものだということ自体間違えている。歴史なんて根本的には小説と同じフィクションである。

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では歴史から何を学ぶべきなのか。

歴史だけではないと考える。その他の学校で教わる科目も、音楽も美術も体育も、そしてスポーツもテニスも自分であり、他人でもある人間に興味を持つことを学べるのだと思っている。それは『心』という部分である。心という物自体が非科学的なものではあるのだが、想像力であり創造力なのだ。

今年のお正月は、西南戦争について調べている。

今はグローバリゼーションなんて言って、会社員だけでなく子供たちにもタブレットが配られる時代である。プログラミングを知らない人は今後取り残されるそうで、大手の会社は国内でも英語を話さないといけないそうだ。

明治維新のときは丁髷なんてしてたら世の中についていけないと慌てて七三のざんぎり頭にみながする。イギリスのやってることが全て正しいとされ、汽車を走らせたい、ネクタイを締めたい、植民地が欲しいと何でもかんでもイギリス化である。これを文明開化と呼んだそうだが、今から考えれば子供の飯事レベルである。しかし、その飯事が子供ではなく大人だったために朝鮮半島、中国、ロシアと戦争になり第二次世界大戦に負けるまで、それが飯事であることに気づけなかった。

西南戦争とは江戸時代に武士だった人間が困って起こした反乱だとされている。国内の戦争がなくなり、新たな徴兵制度で武士以外の人間も兵隊になることができるようになった。しかも廃藩置県で実質公務員扱いだった武士の給与は家禄という補助金みたいなものとなり、他に商売をしないと飯が食えない状態に追い込まれていた。確かにその側面があるのは事実だが、そんな単純な理由だけではない。またその首謀者とされる西郷隆盛はそんな士族からの信望があり、若い士族たちを守りたいという男気で立ち上がったとされているが、これもまたそんな単純ではなかろうと考える。

そもそも廃藩置県という制度を施工するにあたって、西郷隆盛は士族の象徴的存在としてお飾りだったと言われている。隆盛が引退して鹿児島に帰るきっかけとなった征韓論にも首をかしげることが多い。西郷隆盛の深い真を知るには、隠居して農業をしながらも鹿児島に作った私学について調べていく必要がありそうだ。士族の若手に対して開講したとされているが、士族のためだけに作られてはいないこと。軍事訓練が主な授業であったことは事実かもしれないが、それは反乱を起こすからではなく、朝鮮半島を攻めて植民地を作ることでもない。それをときの政府が目につけ、反乱の恐れがあるという大義名分から鹿児島の弾薬庫を封鎖しただけである(これも罠だけど)

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『西郷隆盛は私と同じことを考えていたのではないか』という仮説は大変おこがましいが、歴史を学ぶというのはそういうものなのだ。たぶん西郷隆盛は『心』の教育をしようとしたんだと思う。それはやはり想像力であり創造力といった部分であっただろう。西郷隆盛は明治維新という時代に何を想像し、何を創造しようとしていたのか。

知的好奇心という言葉は嫌いだ。

興味でいい。

興味を持つということ。それ自体が心ある証明だから。

 

 

 

 

 

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