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出会い


プロ野球のキャンプが始まった。何やらヤクルトスワローズが初日から10時間ほど練習させたらしい。阪神も広島も中日もキャンプの練習時間がこの数年長くなっている傾向がある。この傾向は落合博満さんが中日を何度も優勝させ、その中日のキャンプが練習日数といい、時間といいこれまでになく長かったことが要因だと思う。ただ、落合監督が就任するまでは逆に練習日数、時間はどんどんと短くなっていた時期もあった。それはヤクルトで野村克也さんが常勝チームに育て上げ、そのヤクルトの練習時間は人間の集中力という観点から短めだった。その代わりに毎夜戦略ミーティングを行っていた。

現在の野球界には大きな3つの流派みたいなものに分かれる。

まずはイチロー流。身体が持つ自然との調和を重視する人で、ウェイトトレーニングはナンセンスと言い切る、自分の意識や感覚を大切にして、それが柔らかい体と頭がないと邪魔されるという考えで、個性を尊重する流派。

続いては落合博満流。古き良き時代を取り戻すという考え方。走る練習もトレーニングシューズではなくスパイクで、筋肉はウェイトトレーニングではなく素振りをすれば、ノックを受ければ自然につく。野球動作以外に必要な筋肉はいらない。そして、何より走ることが最も大切で、心技体ではなく、体技心で、まず身体で覚えてしまうという流派。

最後はダルビッシュ流。スポーツ生理学から栄養学まで最新のデータを駆使して、プロテインなども服用してウェイトトレーニングを重視する。長時間の走る、打つ、投げるの反復練習に反対で、効率化重視。高校野球は週休二日にすべき、投手は球数制限を設けるべきという意見を強く持ち、感覚や伝統といったあやふやな理屈が大嫌いで、科学的な根拠に基づくものしか信じない流派。

これら三つの流派は、プロ野球界だけではないように思うのは私だけではないだろう。テニスの世界だって、スクールだって、ジュニア育成にしたって、大体この三つに流派が分かれる。スポーツだけではないだろう。将棋にしても、商売にしても、会社経営にしても同じではないだろうか。

結局はどれが正解というのではなく、どれも正解でどれも間違いみたいなところがある。そして、イチロー、落合、ダルビッシュともにその世界での成功者であり結果を出してる。こう考えていくと結局は出会いなんだとつくづく思う。いくら生まれ持った性癖があるとはいえ、幼少期に育てられ方、初めての先生、師匠、上司、ライバル、仲間といった人との出会いが大きいだろう。

私は人との出会いに恵まれてきたと思ってる。それに感謝してる。ただ、もう少し年齢的にも私と出会って感謝されるようでないといけないと思った。

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こだわりにこだわらない


仕事の宣伝に使う言葉に、オーナー側の偉いさんからストップがかかった。その言葉を選んだのは僕で、うちの偉いさんにも意味を説明したけどあまり伝わらず、変更することになっちゃいました。

こういう行き違いというか喧嘩は、若い頃はもっとひどかった。僕にはどうしても譲れないこだわりが強くて絶対に引かなかったけど、今回は少し粘ってから引いた。なぜかというと、あんまり『こだわり』にこだわりすぎると、それ自体が胡散臭くなってしまうような気がしたから。『店長こだわりの〇〇』とか『こだわりの〇〇』なんていう宣伝文句を使ってるもので、本当にこだわってるなと思うことが少ないから。

自由っていうのは、本当は不自由だという話。『こだわり』ってのは本当は不自由で、それがあるってことは自由なんだ。だから、偉い人たちってのは、そんな僕の自由が羨ましいんだと思う。そんな嫉妬心で僕のいうことを聞くのがプライドを傷つけるんだろうと思う。

ごめんね、プライド傷つけて。

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男はみんな


我が子は二人とも男の子。最近になって嫁の「何を考えてるのかわからない」という子供に対しての愚痴が増えてきた。俺は子供らの考えてることがわかるんだけど、俺が子供側につくと優勢になりすぎて嫁の機嫌を損ねるから、傍観者に徹している。

先日、『中二病』というものがあると聞いた。言葉くらいで意味はよく知らなかった。何やら三つに分類できるらしくDQN系、サブカル系、邪気眼系にとなるらしい。それら内容をよく読んでみると簡単なことに気づいた。

男はみんな中二病

クズはみんな中二病

大人になっても中二病

我が家は、親父である俺がサブカル系で、長男は邪気眼系、次男がDQN系と推測される。しかもその病状はひどく不治の病である。

職場のクズ後輩たちも邪気眼系が多いような気がするので、活字だとか図だと理解できない痛い奴ばっかりなので、邪気眼的ショットを俺が特別に教えてやるよ。

ちゃんと練習しときなさい。

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気分で


なんとなく気分で日めくりカレンダーを作ってみました。続くかわかりません。でもなぜか今日は頭の中に小さな頃によく聞いたニールセダカのカレンダーガールが流れてきたのです。暖かかったからかなあ。

できるだけ、その日の朝に更新する予定なんで目覚めのコーヒでも飲みながら楽しんでいただければと。日めくりはスマホで、ブログはタブレットかパソコンで観てもらえたら嬉しいなあ。

そんなことで、よろしかったら今後ともおつき合いください。

日めくりカレンダー

 

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あと一歩


やはり私はときの勢いで仕事もやってしまうようだ。

通勤電車の中で読んだ本を見てたら、本業の方でやらないといけないことが急に頭の中に下りてきた。そこで昨日は午後からの予定を全てキャンセルして、それにあてた。本業のことだから何をやっているかは書けないけど、そんな重要なことではない。けれどそんな重要でないことが大切だと独りで勝手に思ってる。そして今やっていることは業界の未来を大きく変えるとも思っている。

今までも、ときの勢いで未来を大きく変えると思い込んでやったことは何度かある。でも未来はそんなに変わってない。そんなもんだけどやってしまう。レッスンも未来を大きく変えるはずのネタがイマイチ伝わらなかった。

あと一歩のような気がするんだけどなあ。

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勢い


誰にでも追い風のときと、向かい風のときがある。これは『ときの勢い』があるのかないのかということだと思う。勢いにもこの『ときの勢い』と、コツコツと力を積み上げてきて重いものがどんどんと転がりだすような『重い勢い』があるような気がする。

『ときの勢い』は長続きしない。一時的なものとはいえそれなりに勢いはあるのだが大成はしない。『重い勢い』とは積み上げたり、全体のベクトルが合ったりするのにある程度の時間や工夫が必要であり、この勢いは一時的というよりは時間軸に対して威力が倍増していくことなんかもある。私は個人的に『ときの勢い』に頼るところがあり、これが原因でテニスも強くない。テニスなんて競技はまさに『重い勢い』を必要とすること自体が特性といっても過言ではない。ただ『ときの勢い』だけのダメ人間な私にも長所がある。それは勢いを見る目である。今の勢いは強くなくても、いずれ『重い勢い』になる力と、最大勢力のように見えるが実は『ときの勢い』でしかなく大したことがないということなどを見抜く目である。また『ときの勢い』というのは見下してはいけない。一時的なものとはいえ力は相当なものである。ちゃんと受け止めさえすれば大丈夫なのだが、受け止め方を間違えると『ときの勢い』であってもそれに飲み込まれてしまう。一方で『重い勢い』というのは基本的に受け止める術がない。これは逃げ方を考えないといけない。勝ち目があるのに逃げるのは弱気だが、勝ち目がないのに逃げないのは馬鹿である。

そういえばトランプ大統領の勢いはどっちだとみんな思っているのだろう。いや説文がおかしい。アメリカ国民の勢いなのかもしれない。まあ日本人だからどっちでもいいや。そんなことより『ときの勢い』ではじめたこのブログが7年目に突入しており、ひょっとすると『重い勢い』になるかもしれないことの方が個人的にはおもしろい。

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腰の話1


今日のレッスンでスマッシュを打っていた生徒さんの手首の使い方に違和感を感じたので指摘しました。本当に細かな部分で、ボール自体はちゃんとスマッシュできていました。しかし気になったので注意をしました。ボール拾いが終わってそれを話すると、その生徒さんから「ある理想が邪魔してる」と言われたので、気になって「理想って?」と聞いたら「逆クロスへの鋭角に決めるスマッシュ」と言われたのです。それを聞いて私はなおさらドキッとしました。それはその理想が私と同じだったからです。

もう13年ほど前になるでしょうか。私がこの世界の師匠と出会えたのは。その師匠と初めて焼肉をご一緒させていただいたときに、生徒さんにテニスを教えるというのはどういうことなのか聞いていました。「自分で100本反復して掴んだものを、10本の反復で伝えること」「自分で1年間かけて掴んだものを1ヶ月で伝えること」だと教えていただきました。これ自体は難しい概念でもないので何となくわかったつもりでした。その師匠を目指して、私が最初に強烈な憧れを抱いたのがスマッシュでした。

師匠:「スマッシュはどこに打つの」

私:「し、し、下ですか、、、いや人のいないとこ、、、?」

師匠:「違う。サイドライン」

私:「サイドライン?」

師匠:「見といて」

そして、鋭角に刺さるスマッシュを見せてもらい、これをやりたいと強くおもったのです。これをやろうとして私がどうなったのかは身内ではよく知られたネタです。そのスマッシュをくる日もくる日も闇練していたら、ある日突然手首にゴルフボールくらいの大きさの瘤ができていたのです。あんまり痛いとしんどいか甘えたことは聞いてくれない親分ですら、それを見て「テニスすんな」と禁止令を出されたくらいの異様な瘤でした。幸いにして瘤はすぐに消えたのですが、ちゃんと腰を使って打たないとどういうことになるかを身を以て覚えた貴重な経験でした。

手首を一度壊したのを代償に、それからスマッシュは劇的に良くなりました。痛みと再発の怖さから手首が使えない状況でスマッシュすると骨がわかってきたのです。そのときに掴んだものが、今のウェイトレスターンや猪木待ちという練習方法の原型になっています。結局は目と腰の使い方だったのです。

生徒さんから聞いた理想のスマッシュの話によって、私の頭の中は、私自身がその理想を追いかけてどうなったのかという経験や思い出が走馬灯のように駆け巡ったのです。つまり、教えるとは「近道を教えること」という師匠から教わったことが全くもって出来ていないことを痛感したのです。だから見抜いてはいたのですが、腕に痛みを抱えているというのも生徒さんから聞きました。

その生徒さんのクラスといい、いくつかのクラスで「今年中に止まらせる」と言ってレッスンにプレッシャーをかけていたのですが、良くはなっているのですが、完全に出来たというところまではいけませんでした。この生徒さん以外にも期待の有望株が肘痛に悩ませれています。私のように怪我を乗り越えてでも掴んでくれそうな二人ではあるのですが、それでは、私が師匠に教わったことが出来ていないということを意味してしまいます。「今年中に止まらせる」と言ったクラスのレッスンは明日の雨で年を越しそうです。たぶん神様が降らす雨なんでしょう。

「練習なんてしなくていい、必要最低限のことだけすれば」と啖呵を切っておきながら必要最低限のことが出来ていないことに気づきました。年末年始休暇をゆっくり過ごしたいのであれば、今年中に必要最低限のことができるようにしなければと思う日でありました。

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雨の日曜日


長男の少年野球公式戦が増え始めた。昨日も大会の開会式から試合会場へと車の送迎だ。試合は敗れたものの、長男自身はヒットも盗塁も決め、ピッチングでも三者連続三振も含め2失点と3年生として十分な活躍であった。今日も立て続けに公式戦が予定されていたのだが雨のため、早朝早々と中止が決まった。そこで久しぶりにテレビで将棋のNHK杯を観ながら、夢とうつつの間をぼんやりと過ごした。

私の仕事はテニスコーチである。テニスやテニススクールのことについては好奇心の塊のような人間であり仕事は楽しい。しかしテニスコーチという本来持つべき目的のみに邁進できるのであれば幸せであるが、現実はそう甘くはない。とくに今年の夏はそういったストレスが重なり、周りには隠し続けているがいろんな問題が現れた。そんな私のささやかなストレス解消方法が将棋観戦なのである。なぜ将棋観戦がストレス解消になるのかも自分なりに解明できているつもりだ。私にとって将棋観戦は現実からの逃避行であり、それが童貞的妄想でもあり、現実には無理だということも知っている。

最近のテレビワイドショーでは、豊洲移転問題のニュースばかりやっている。コメンテーターや評論家の皆様は、もっともらしいことを、もっともらしい言い方で、もっともらしい風貌で、もっともらしい肩書きをテロップに出し、しゃべってられる。ただしみな目的が違うということに気づかれているのだろうか。中国という国の最高指導者は、中国という国のことは三番目に考えておられる。一番大切なことは中国という国の繁栄や存続ではなく中国共産党の繁栄と存続なのである。二番目が習近平自身であり、その後の三番目にやっと自国が来る。中国の最高指導者は中国共産党の最高指導者である。日本という国もそこまで愚かではないにしても似たような愚かさは持ち合わせてられるようだ。当たり前のことだが日本総理大臣は自由民主党の党首である。東京都の知事は自由民主党東京都連のトップである必要はないが、都議会最大議席を持っている自由民主党議員の皆様を無視することはできない。

将棋の駒にも価値の高低はある。歩より香 香より桂 桂より銀 銀より金 金より角 角より飛といったように。ただ、これらは一般的な価値基準でしかなく、状況によっては持ち駒が角より香の方がいい場面があったりする面白いゲームなのだ。ただ、その奥深さとは反対に目的はいたってシンプルである。それは自分の王将が詰まされる前に、相手の王将を詰ませたら勝ちなのだ。今日の対局も新進気鋭の豊島七段の鋭い端攻めに対して、ベテランの久保九段がそれを見事に防いだ素晴らしい戦いであった。勝因は久保九段の銀のただ捨てであった。自分の銀が逃げれる状況にあったにも関わらず、わざと歩に取られる場所に移動して取られてしまった。しかし、この銀を取った歩が、豊島七段にとって後に睨みを利かせる予定の角道を防ぎ端攻めの手順を大きく狂わせた。

それぞれに権力者の皆様やネクタイを締めたお偉い方々というのは自分の王将よりも大切に守らなければいけない駒があり、そのうえ相手の王将よりも他に欲しい駒があるようで大変なようだ。ただ、表向きは相手の王将を詰ますと言っておかないといけないようで、何とも廻りくどいお言葉を往々にしてお使いになられるのはそういった実は深そうで、実はあさはかな理由があるようだ。

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