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年末年始


スポーツ指導で子供たちに携わる人なら一度は見たことがあるであろう『スキャモンの発育曲線』というものがある。それは植物と季節の関係のように子供の発育というものが自然と連動して『とき(時間)』とともに育んでいくものであると感じる。それは遅れてもいけないが、早すぎるのはもっと厄介である。成長期に成長せずに枯れてしまう。早さより、かけるべき時間をかけるべき時にかけているかの方が大切なのだ。

私には6歳と8歳の息子たちがいる。息子たちの年齢を考えると、これからの数年必要になるのは自然や現実との親和力ではないかと思っている。できる限り実際のものを見る、匂う、触る、聴くというようなものから、それらの長所を見つけていくことの大切さを伝えたい。意味がわからなくともこの時期に『生(ライブ)』感のあるものを経験させる時期だと思う。

ただ最近の風潮として首をかしげるのが、グローバル化とか何とかで早くからの外国語教育、外国への留学などである。ただしこれら教育、語学、留学などそのものを否定しているのではない。まず自分の文化に対する観賞力(心)が育っているかどうかが大切なのではなかろうかという問題提起である。そのためには歳で言えば10歳になるくらいまでに、自分の生まれ育った文化というものを心で理解しておかないといけないと思う。これが育っていれば異文化に対する理解は逆に早くなる。明治維新の若い政治家たちが外国留学で成果をあげたのは、自国の文化についての理解が深かったからに他ならない。

年末年始というのは大掃除の仕方からお節の準備、お雑煮のだしの取り方、飾り付けなど、それぞれの国や地方、家系、家族というものに文化というものがあることを理解するのに大切な期間なのだ。これは自論でしかないがお正月は家族で過ごすものだと思っている。あなたの生まれ育った町、今住んでいる町、あなたの生まれた国では、大晦日、お正月に何をして遊びましたか。そして、どんなお手伝いをしましたか。

子供たちの成長にとっては、たかがお正月されどお正月である。お正月にお正月の文化と接して過ごすことは、かけるべき時間であり、かけるべき時なのである。

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今年も一年くだらない記事を読んでいただきありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。

腰の話2


長男と寝る前の会話

長男:「今日学校で握力測ってん」

父:「へー」

長男:「けど、あんまり力がなかってん」

父:「握力なんていらんで」

長男:「えっ そうなん?」

父:「だって、手は小さいやろ」

長男:「何が小さいん?」

父:「手以外にもっと大きいとこあるやろ」

長男:「足」

父:「もっと」

長男:「どこ?」

父:「腰」

長男:「あっ ほんまや」

父:「大きいもんが大きく、小さいもんは小さく。それが正しい使い方」

長男「ふーん」(少し考えてる)

父:「戦国時代の武勇に優れた武士も、ホームランをたくさん打つ人も、すごいボール投げるピッチャーもみんな腰を使ってるから」

長男:「そうなんや」

父:「わかったか」

長男:「うん、わかった」

父:「そんなすぐわかるかいや」

長男:「えっ そうなん?」

父:「一生かけて追いかけるもんや腰は」

長男:「お父さんもわかってないの?」

父:「そうやで。それも最近になってやっぱわかってないことに気づいてん」

長男:「大人でもわからんのや」

父:「大人の方がわかってないねん」

長男:「えっ、大人の方が」

父:「もうええ、はよ寝ろ」

長男:「おやすみ」

父:「はい、おやすみ」

腰の旅はまだまだ続くのであった。おやすみなさい。

 

 

 

がんばる


最近はテニススクールもビジネスチャンスとして低年齢からを対象としたレッスンをやってるとこが増えてる。うちも4歳からのコースがある。昨日はその4歳からのクラスを担当してる若手が俺様のレッスンに勉強でアシスタントに入れてくれと頼んできた。

俺様の低年齢クラスのレッスンは、ビジネスチャンスとかでやってるスクールのコーチとはちと違う。次元が違うとでもいった方がいいだろう。俺様くらいのレッスンだと、子供にテニス教えてるだけじゃなく、その親が子供との接し方の勉強としてずっと見てる親もいる。

そんな次元の違う俺様のレッスンは、俺様が父親で子供がいるからできるんだと先輩コーチに言われるけど、それだけじゃない。出来るのは俺様が天才だからだと言いたいところだが、実は俺様も低年齢の子供には苦労してきた。そもそも昔は小ちゃい子をレッスン中に泣かしすぎて、そもそも担当させてもらえなかったくらいだ。すんごい勉強したから全部は教えてやんないけど、ちょっとだけ教えてやる。

まず、学校、幼稚園の先生も保母さんも『平等』をはき違えてる。小ちゃいから何でも短く、簡単にしちゃいけない。誰もが出来る課題を用意して、誰でも出来るからやりなさいと追い込んじゃ駄目なの。

俺様は、まず3本のラインを引くことからはじめるんだ。

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限界ってのは大人であれ子供であれ誰にでもある。けど、その限界ラインには2つあるんだ。一つはその子本人にが、そうだと思っている『自分が考えている限界ライン』と、俺様の経験と直観でわかる、その子本人の知らない『自分の知らない限界ライン』だ。それと、みんなでやるからには守らなければいけない『最低限やってもらわないといけないセーフティライン』の3本だ。

この3本を基軸に『がんばる』ということを定義してる。

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これをコーチと小ちゃい子供たちが共有しておくことが大切なんだ。『がんばる』なんて4歳でもわかりそうな簡単な言葉みたいなものこそナメちゃいけない。こういう簡単なことを、わかっているようでわかっていない大人はすごく多い。そんで、その基軸がわかれば『褒める』基準も共有できる。

(注)小ちゃい子でも、最低限守らなければいけないセーフティラインを下回る行為が見られたら、それはがんばってないんじゃなく他に問題がある。例えば体調不良だとか、オシッコなどの生理的現象など。それなのにがんばらせても意味ない。また、自分の知らない限界ラインを遥かに超える域に入っちゃうと副作用があるから要注意)

 

小ちゃい子は『褒める』基準が曇ってたら、信用されない。基準があれば小ちゃい子でも怒っていいんだ。

ただし、こういった基準ラインは俺様と同じじゃなくても、少し経験がある先生やコーチは持ってる。けど、俺様くらいの超一流は、これを同一のラインを引かないんだ。むしろ、これを大人たちの平等として同一にするから信用されななくなるんだ。

例えば4歳からの低年齢クラスに4人の子供がいたとしよう。その4人はこんな子たち。

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『ひとり ひとり を見る』ってのは、実際にその子を見てるかではなく、それぞれの限界ラインが、それぞれに違うという当たり前のことを、学校などの団体指導、教育現場では忘れられている。子供にはそれぞれ個性があり、長所は短所でもあり、短所が長所でもあるんだ。それには人間なんだから必ず偏りがある。その偏りが大きい子を発達障害という大人たちの勝手なルールで呼んでるだけ。

そうじゃなくて、様々な活動や場面で、それぞれの適切なラインを先生やコーチが引いてやらないといけないんだ。

例えば『あいさつする』っていう行為に対してはこうなる。

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せっかくテニスしにきてんだから『フォアハンドをお尻で打つ』がテーマならこうなる。

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プライベートみたいな個別レッスンじゃないんだし、みんなでやるレッスンなんだからある程度の協調性はいる。(協調性のない俺でもやる)だから、ボール集めだって大切だよね。

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ほんで、最終的にテニスはゲームなんだから、勝つ喜び、悔しさも教えてやんないと。

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こういった、様々なことで成り立ってんだから、それぞれでの場面で、それぞれの個性によって、ラインの高さが違うんだわ。そのラインに合わせた指導をしないといけにないの。これが本当の平等なの。ほんで、自分で作った限界ラインの少し上の『自分の知らない世界』に少しずつ入れてやるんだ。 これを何度か繰り返していけば、知らない間にそれが『自分の知らない世界』が『自分の知ってる世界』に変わってる。これを成長っていうんだ。

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子ども側からいうと『がんばれば、成長する』これがわかれば、勝手に自分たちで動きはじめる。これを自主性という。

先生やコーチ側からいうと、こういったことを育てるといい、子供たちを『自分の知らない世界』に導いたという。

がんばる

成長

育てる

導く

言葉の意味はわかっていても、現実にできてないのは子供じゃなく大人の方。がんばってないのは大人の方。

以上

 

 

 

 

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