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捉えるということ


仕事ができない私がいうのもなんだけど、仕事ができる人ってのは時間の使い方が上手い。時間の使い方が上手いっていうのは、その仕事の中で時間のかかることと、かからないことの区別ができていて、時間のかかるものをやる時間の取り方が上手い。

それから、前に使ったものを再利用するのが上手い。何かの平均を出してくれっていわれたら、まず、そのデータがすぐに出てくる。そして『平均を出す』ということの計算式が入ったエクセルなんかのテンプレートを持っていて、そのデータをはめ込むだけ。また、そのテンプレートは『平均を出す』ということだけにとどまらず、偏差値やグラフ化もできるようにもなっていて頼まれた仕事以上のことができる場合が多い。

『生徒さんの身長の平均を出して』『月別の売上の平均を出して』『湿度の平均を出して』という3つの仕事を『平均を出す』という一つと捉えてる。また『平均を出す』だけでなく『順位を出す』『見込みを出す』『損益を出す』という3つの数値集計も、『データを計算式に当てはめる』という一つと捉えている。

落合博満は著書で『カーブ(変化球)の打ち方は存在しない』と書いている。カーブはボールの軌道が山形だから『ゆっくりのボール』と定義して、『速いボール』に対して待って打てばいいと考えているそうだ。結局はその世界で成功している人というのは、成功している人の『ものの見方』というもにがあり、それを捉えようとしているだけなんだと思う。

 

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運んで見つける第三の選択


江戸幕府は薩摩藩と長州藩が同盟を組んで倒したとされている。けれど薩摩藩と長州藩だけでは幕府は倒せなかっただろう。やはり坂本龍馬が先見性のあるリアルな形勢判断をしたおかげで明治維新があったのだと思う。薩摩藩も長州藩もそれぞれにポテンシャルの高い藩であったことは間違いない。ただ、思想といい行動力といい元気がよすぎてとても偏ったところがあったのも事実である。だから、歴史上の大きな出来事として扱われてないけど、薩英戦争や下関戦争といった外国との無謀な戦争でボロ負けしているという事実がある。

これとよく似た形として、テニスのダブルスにおけるハイボレー展開というのがある。自分側だけの形勢判断として有利だと勘違いして、ハイボレー=チャンスボール、絶対的有利という偏見を持ってしまう人が多い。浮いたボールは全てがチャンスだと叩いてばかりいたのでは薩長と同じでボロ負けしてしまう。そこで坂本龍馬の形勢判断を自分の体の中に入れてあげないと勝てない。

例えばこんな場面。

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相手の足元に落としたから浮いてきた。本当に軌道が見えていて入り込めてるなら打っていいときもあるが、どんなときもそんなベストな状況であるとは限らない。しかも、相手は沈められてしまったがために浮いたわけだから、それなりに次はディフェンシブに待たれる。打ち方もよく見られてる。また、自分側もサービスライン上であり、抑えて打つにはネットの高さが気になってしまう冷静に考えると難易度が高いショットなのだ。

坂本龍馬的な形勢判断がないと、意味なく叩いてしまう。たまにそれで決まったりするもんだから余計に理解できない。しかも、相手はディフェシブだから手前にバウンドしてストロークのように処理されてしまう。要はいろいろと危ないのだ。

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これはまさに薩摩と長州が、槍や鉄砲で最新鋭の長距離大砲を持ったイギリスやフランスと戦って勝てると思ってたほど愚かなことである。そこで最近のレッスンでやってるのが、この場面で相手にハイボレーさせるという展開である。

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要点はサービスライン上のハイボレーを、相手にハイボレーさせるということではない。それが絶対的な正解ではない。坂本龍馬の最も優れているのは、理想論と現実論の狭間で二者択一ではなく第三の選択を探す努力をしたところにある。大政奉還は龍馬の第三の選択だし、龍馬が殺されてなければ戊辰戦争で多くの犠牲者を出す必要がなかったかもしれない。つまり坂本龍馬は叩くという行為が最後の最後であり、基本的に運ぶという選択肢を探し続けた人なのだ。

龍馬に理解のある中岡慎太郎でさえ、龍馬のやることは生ぬるいという不満があったようだ。もっと一気に叩いてしまえばいいのにと思われていたそうだ。その龍馬を殺す必要があった人物は、龍馬に並ぶ形勢判断のできた人物であるのだろう。並みの人間では龍馬のやろうとしてることがどういうことかなんて理解できない。

本当に気をつけなきゃいけない攻撃とは、叩いてくることではない。運ばれてくるときだ。

 

 

 

時間の使い方


書類系の締切というものにとてもルーズで、偉いさんに疎まれてる私では説得力に欠ける話であることは、最初に言っておこう。結論からいうと、時間の使い方において最も大切なことは『締切』ではない。どこに『ゆっくり』『ゆったり』という時間をどれだけ使えるようにするかが最も大切なことである。これを本当は締切をちゃんと守る社会的に立派な人間がいえばもっと説得力があるのではあるが…。

X JAPANというロックバンドがいる。彼らは…と言いたいところだが、X JAPANというバンドを経営してたのはYOSHIKIである。YOSHIKIは『締切』ではなく、どこに『ゆっくり』『ゆったり』とした時間を使うかということを重視して、ロックミュージックの世界で天下をとったバンドであるとも言いかえることができる。

そのX JAPANを紐解く中で着目すべきが、いわゆるメジャーデビューする前のインディーズ時代にある。まずYOSHIKIはメンバーも定まらない頃に、自身のレコード会社を作っている。また、ロックミュージシャンはそのイメージに神秘性を持たせるためにテレビに出ることを控える風潮があった中で、当時の人気お笑い番組『天才たけしの元気がでるテレビ』に出演したりと、これまでの既成概念というものを無視してきた。そこで知名度を上げて自分たちの曲を聴いてもらう機会を作り、メジャーデビューできる当時の基準でもあったインディーズで1万枚という売上枚数に達しながらも、中々メジャーデビューはしなかった。そのうえ、ライブで会場を満員にできたにも関わらず、ライブに来た人に、当時としては珍しいミュージックビデオを無料で配っていた。おかげでYOSHIKIを含むメンバーはときにアルバイトで日銭を稼ぎながら、ライブやCDの売上のほとんどをミュージックビデオ制作の費用や、ガソリンなどでライブごとに燃やしたり破壊するドラムセットなどの費用にあてられるという自転車操業的な経営をしていた。

これがYOSHIKIの時間の使い方である。まず「メジャーデビューさせてください」と言うのではなく、大手レコード会社から「うちでメジャーデビューしてください」と言わせたところに一つ目の勝因がある。1万枚売れたくらいでメジャーデビューしてしまうと、CDの発売日やそれに関わるプロモーション費というのはレコード会社主導で決められてしまう。いずれはロックバンドでもミリオンセラーして、日本を代表するようなロックバンドになることが夢でも、レコード会社からするとそこまでは当時のロックバンドごときに望んではいなかっただろう。だから良くて5万枚くらい売れるアルバムが一度でも出ればいいだろうくらいにしか考えてもらえない。流行に敏感な音楽業界でロックバンドなんかがミリオンや何十年と音楽の世界に残り続けるはずがない。だから、テレビで少し知られて、数万枚売れる間に使い切ってしまおうと考えるのがレコード会社である。また、メジャーデビューした最初のアルバムが60万枚以上いきなり売れたために、レコード会社としても重要なアーティストになってしまった。そのために発売日やライブの日程などを主導で決めれなくなってしまった。通常であれば年に3〜5枚のシングルと二枚ほどのアルバムを出させて、流行が消えてしまわぬうちに出せるだけ出してしまわせる手法のレコード会社が、X JAPANにはそれを強要出来なかった。そのため、YOSHIKIは3〜4年に一度というようなペースでX JAPANのアルバムを制作したかと思えば、突如一曲が30分ほどある曲を発売したり、制作活動に煮詰まって勝手にソロ活動したりとやりたい放題だった。つまり、YOSHIKIは自分の作品を作る時間だけは誰にも邪魔されず『ゆったり』『ゆっくり』を確保し、締切というものはあっても自由に操作してしまえる状況を作り出したところに勝因がある。彼が音楽制作をする場所を海外にしたことも、レコーディングするスタジオさえも自分で購入したことからも、それを重視したことは明らかだろう。

話は変わるようで変わっていない。この概念を今日はレッスンでレディースの大会に出てる人から6歳の子供まで伝えた。力の入るところや、体の前でとか、いわゆる一般的に正しいとされる打点(締切)ばかり考えているからだ。それを失礼ながら帳尻合わせと呼ぶんだよ。大切なのはそこじゃないんだ。どこに『ゆったり』『ゆっくり』という時間をどれだけ使えるようにするかなんだ。

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肩→アキレス腱→左腰→左手


テニスの打ち方の指導で『肩』のことをいう人コーチが多いように思う。打ち方で『肩』の動きや位置をアドバイスすること自体が間違いとは思ってない。けれど、その『肩』のことをいうところのもう少し深い部分が知りたい。ちなみに僕は『肩』のことをあまりいわない。ただ最近になって『肩』と視野に大きな関連があるように思ってる。今までは視野といえば『肩』より『首』だった。

肩、肩、肩…と考えてたら、それどころじゃなくなった。昨日のコーチ同士の練習会でアキレス腱付近を痛めてしまった。ダブルスマッチにシングルスもやり、マッチポイントをとってからの逆転5ー7で負けちゃったけど、バックハンドのスライスが好調で、我ながら素晴らしい左から右への体重移動でボールが重くすべってた。そのシングルスが終わって、他のコーチと軽くラリーしてたら、とくに激しい動きでもなく、捻ったわけでもないのに、バックハンドのスライスを打つときの右足に体重をのせにいったところで「グニュッ」とした音のような感覚の痛みが走った。夜も若い子の研修でオンコートで指導してるときに、痛みがひどくなってることに気づいた。そして帰ってお風呂に入ったときに、アキレス腱付近が内出血してるのを見つけた。

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痛みは何もしてなければさほどでもないが、ちょっと嫌な予感がしたので珍しく病院へ。レントゲンもとってもらい、いちおうアキレス腱、骨には異常がなかった。ただし、どこかにぶつけたわけでもないのに、この部分の内出血は珍しいと医者に言われた。アキレス腱付近の毛細血管が切れてるようだ。(何かわかった人は教えてください)

僕の意識が『肩』から『アキレス腱』と移り、その右側をかばって夜にテニスしたために『左腰』が痛くなってきた。そしたら、トニー君に「オンコートで左手の使い方を教えてくれ」といわれたので、今日の夜にオンコートで研究会をする。

今は人体模型とにらめっこしてるとこ。

 

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昔、僕のUSBには『nobunaga』という名のファイルがあった。僕自身は学がないから、賢い子たちに頼んで作ってもらったシート(複雑な計算式やシートプログラミングしてあるもの)があった。タダで作ってもらう代わりにバックハンドの逆クロスへのハイボレーを教えてあげたっけなあ。

 

「これから言う年月を紙に書け」

と信長は居並ぶ母衣衆を前にして言った。

「天文二十二年八月、弘治元年七月、弘治三年八月」

「分かるか」

と信長が簡潔に問いかけた

「川中島での三度の戦いかと存じます」

と佐々成政が答えた。

「左様。他に何か気づかぬか」

と信長が言うと

「全て夏頃か初秋と言えるのでは…」

と合戦名や季節だけで信長は納得せずに、多少機嫌を損ねはじめる。

そこで末席に座る木下藤吉郎が答えた。

「すべて農閉期でございまする」

 

これが若き日、信長の部下育成研修の一部である。火縄銃の玉交換の時間計測、槍の長別による戦いの有利不利など全てにおいて現実を素材にした実験を行い、敵軍の情報を集めすべてデータとして把握し分析を行う。この情報処理能力を信長だけでなく部下にも求めた。

秀吉や家康は信長から、この情報処理能力(アルゴリズム)を学んだのだと思う。ただ、あくまで段取りであり手順という手段でしかなく、それを天下統一という目的のみに使った秀吉、徳川家の永遠の繁栄のためにだけ使った家康ということで、目的は不純であっても情報処理能力があれば、その目的を達成することができるということを信長は証明して見せたんだと思う。

信長は歴史の授業で教えるべき人物ではない。算数と理科と体育の授業で題材にすべき人物なのだ。ましてや小学校からプログラミングを教えるのなら、いうまでもなく。

追伸:

路地人さんだけが見抜いてるんだろうけど、テニスだけでなく最近の僕の捉え方が下手になったのも、サーブが怖くないのも、僕の昔の信長のような目をしていないからだろう。

 

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身をもって理解する


年末に生徒さんに渡す季刊誌の特別号として、レッスンで伝えてることをまとめた手引書を渡す予定だった。冊子を作るためにたくさんのカラーコピーした用紙まで準備できてたんだけど、配布しようとしてる直前にキャンセルした。内容としては申し分ない出来かと思ってたけど、直前になって、なんか自己満足みたいな感じがして、それが生徒さんにとってのレベルアップや目標達成につながらないのではないかという不安が見えてしまった。

人に何かを伝えようとすれば、どうしても側面としての表面になってしまう傾向がある(これは自分だけでなく) それがひどくなるとただの建前であったり、心殺したマニュアルのようなことになる。本当に大切なことは、伝えようと思った表面が、なぜ決定、判断されたのかという過程の方に深さがある。すでに人によって公開されてる文章や言葉というもののほとんどが、その人が得た氷山の一角にしか過ぎず、見えない海面下にその本質が隠れてる。

ある物理の先生が授業で、氷砂糖を何でもいいから小さくできるところまで小さくしてごらんという課題を出したそうだ。それで可能な限り小さくしたものを顕微鏡で見せたそうだ。それで何のオチもなくそれだけで授業を終わらした。それを受けた生徒の1人が、数年後の同窓会であれはどういう意味でやったのか聞いたそうだ。するとその先生は「どんなに小さくしても原子ほどにするのが難しいということをわかってほしかった」と答えたそうだ。原子の大きさが0、1ナノメートルなんて教えるんじゃなく、身をもって理解させる裏側の授業をしたその先生がすごいと思った。

身をもって理解するには二つの方法しかない。

一つ目は痛い目にあうまでやり続ける。

二つ目は自分以外の人に興味を持つこと。

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練習とは


練習というのは実践に即して行うというのが基本だ。けれど例えばテニスの練習で手でボールを送ってもらう練習がある。これは現実にはありえない軌道で飛んでくるボールを打つんだから一見すると実践には即していない。ネットの向こう側からラケットでボールを送っても、送る側の立つ場所であったり角度によっては実践に即しているとはいえない。しかし、こういった一見すると実践に即していない練習というのは全てが間違いではない。むしろ過程としてみると絶対といっていいくらい必要だ。問題はそれをやれと指示するコーチ側や、それを出してくれと頼む練習する側がどういう意図でやっているかということが大切なことだ。また、その意図というものは同じメニューでもコーチ側や練習する側によって違いがある。

野球のイチロー選手が打席に入る前の素振りである。 

この動画の後ろ(ベンチの中で)にもイチロー選手と同じ左バッターが、相手投手のピッチング練習にタイミングを合わせてる。けれど意図は明らかに違うように思われる。私もテニスでこのイチロー選手のような素振りや、自分でトスして同じような形でゆっくり打つという遊び練習をよくする。ただし、当然ながらこの意図とイチロー選手の意図が同じかどうかは、その本人同士に聞いて見ないことにはわからない。

どんな世界でも、技術を習得するというのに練習は不可欠だ。そのときにどんな世界でも、その世界でのメジャーな練習方法というのがある。その数はさほど多くはない。しかし、それぞれの練習の意図というのは深く掘り下げていくとたくさんある。けれどこの深い部分での掘り下げなしに技術の習得は難しいと思っている。また、その意図が時とともに新たに加わったりするもの、変わることというのもある。逆に深く掘り下げないにしても、絶対にこの目的でやっちゃいけないこと、こういうやり方を絶対にしちゃいけないことというようなことくらいは理解してやらないと、余計に悪い癖がついて、練習時間と技術向上が比例しない。

そして、それらの意図というものに一貫した繋がりが必要だ。それを脈絡といい、練習には目的に沿った一貫した大きな芯が通ってなきゃいけない。これら全てを含めて『実践に即した練習』と私は解釈してる。

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後悔


仕事から早く帰ってこれたときは『お父さん先生』といって、夜に我が子二人に授業をするときがある。授業内容はその時々で違うが、私の得意な歴史などについて子供に授業を開く。昨日は新たな授業を新設した。『こども先生』である。

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子供にもちゃんと理由を告白した。お父さんは学校の勉強で一つだけ後悔してることがあると。それは算数、数学をちゃんと勉強しとけばよかったということである。歴史なんかは興味を持った時代から広げていっても問題ない。例えば戦国時代に興味を持ってから幕末、平安、飛鳥時代などと順番に覚える必要性はない。しかし、算数や数学というのは積み重ねであり、掛け算が分からずに面積の問題が解けないというような上積み型の科目である。ふと考えると私が算数で挫折しはじめたのは小学4年生くらいからではなかろうかと思った。そこで長男(小4)に「今算数の授業は何をしてる」と聞いた。そしたら「計算するときの順番とかルール」っていうので、それを夜飯が終わったら教えてくれと頼んだ。すると子供に「なんで?」と聞かれたので全てを正直に話した。

お父さんには今の仕事をするうえで師匠にあたる人がいた。その人のレッスンに何度かアシスタントで入れさせてもらったり、後ろで見てると、ある日あることに気づいた。それが数学の証明問題にどこか似ていることだった。あとで知ったことだが師匠は関東で最も有名な暴走族の一員であったと同時に関東で最も偏差値の高い某有名私立大学にいたそうだ。それで立てた私なりの仮説が、師匠は『数学的なものの見方』ができる人なんだろうということである。数学なんてもんは、それを使う専門的な業種につかない限り、一切関わることがないのがほとんどだ。だから社会に出ても一部の人間しか必要性というのはない。けれど大切なのは数学の問題が解けるとか公式を知ってるということではなく『数学的なものの考え方、見方』を身につけるということは社会に出てから気づいてしまったのである。

長男に教わるときはとても純粋でいられた。わかってるつもり、知ってるつもりという邪念を持たずに素直に聞いた。また算数から小学生と一緒にはじめるというのは遠回りのようで、そうではないというような気がしてならない。時間はかかるだろうが。

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今日は、トーナメントクラスの人が出てる大きな大会があって、それをレッスンの合間に少しだけ見ていた。実際の試合でよく起こる場面や、各個人の問題は事前にレッスンで出来ていたというのが率直な感想だった。けれど結果が伴わない人がほとんどだった。結局は自分がやったつもりになっているだけで伝わっていないというのが現実なんだろう。なぜ、全員に伝わってないのか考えると答えは明白だった。私自身がちゃんと証明問題を解けていないからだ。仮定がわかってない、共通するところを見抜けていない、根拠に誤りがある、いやもっと根本的に証明しなければいけない結論が間違えてるのかもしれない。結局は全て算数、数学を勉強してこなかったツケが今になって響いている。

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そういえば数学者の岡潔さんも学生時代にテニスに熱中し、将棋が趣味であったそうだ。テニスや将棋というのはそういう意味でもどこか数学的なんだろう。しかし、私はそれがどんな世界なのかわからない。そんな今の救いは長男が数に強いことだろう。

長男殿 今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

失敗のチャンス


ドラフト会議は毎年面白い。なぜ面白いかのかっていうと、誰も、誰が活躍する選手になるのかわからないからだろう。上位指名の選手が活躍するわけではないし、下位の指名選手のほとんどは一軍に一度も上がらずに戦力外になることが多いのも事実だ。それぞれの球団で独自に編み出した評価基準というのがあって、それらが数値で細かく分析されているが絶対ではない。体格に恵まれても、人より走るのが早くても、球速があっても、飛距離があっても、これから活躍する選手になるのかどうかは誰にもわからない。

先週は選挙があったらしいが、結構な数で世襲議員というのが増えてるように思う。閣僚なんて半分以上ではなかろうか。中国の共産党大会でも世襲議員が多いらしい。結局は先行きが不透明で難しいことは何かと数値だとかAIを使った指標とか、世襲なんかの血統だとか保証のようなものがないと安心できないんだろうと思う。

身も蓋もないことだけど、1割の確率でヒットを打つ人と、3割の確率でヒットを打つ人を打席に立たせても結果は10か0しかない。安心な保証のある商品を使ってみても、保証のない商品を使ってみても、故障するかしないかという結果は10か0しかない。

清宮くんが「やっとスタートラインに立てた」って言ってたけど、その通りなんだと思う。これから何をするのか。どれだけ練習するのか。どれだけの経験をつめるか。どれだけの失敗できるチャンスを作るか。

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目の強さ(研究途中経過)


夏にみんなに隠してる問題があって、それを路地人さんに相談したときに指摘されたのが『目の強さ』だった。それ以来ことあるごとに『目の強さ』について考えてる。ただ24時間ずっと考えてるわけじゃない。そんな考え方したんでは何も浮かばない。それよりも、今は将棋の竜王戦が行われている。しかも対戦カードは羽生永世名人と渡辺永世名人の戦いとあってテニスのことより興味を持って見てるときもある。

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今年の竜王戦がこの二人のカードに決まったので、早速二人の著書を読み返した。

どちらの本に書かれてる共通点として『勘』のことが出てくる。羽生さんはそれを『直感』ではなく『直観』というように、お互いの『勘』というのはお互いにみえてる世界なんだと思う。そういうところから将棋というのは実力が均衡していると意外に時間の使い方で勝敗が決するときがあることを考えた。時間がなくなるというのは誰もが追い込まれてミスをする。けれど私は事務的な締め切りのある仕事は期限ギリギリにやる傾向がある。時間がありすぎると集中できなくて逆にミスが多いからだ。そういう矛盾について考えてるとある本に出会って読んでる。

まだ全部読んでないんだけど、内容が面白くてある仮説が頭に浮かんだ。集中しないと見えないものもあれば、集中しすぎると見えなくなるものもある。ゆとりがないと見えないものもあって、ゆとりがありすぎると見えなくなるものもある。

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集中が欲しければ、ある程度追い込まれるような環境にないといけない。逆にゆとりがいるときに追い込まれる環境にあると難しい。その時々でちょうどいい塩梅が環境や集中、ゆとりというものにあるのだろうと思った。それを竜王戦を戦う二人の見てるところとして考えるとこうなった。

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こんなこと考えながら竜王戦を見ると面白いと思った。ずっと集中してることがいいわけじゃないから、対局中でもわざと遊んだり、深く考えないようなゆとりを作ったり、時間をわざと減らして追い込んだり、わざと時間を使わなかったりといろんな駆け引きがある。

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目の強さってのは、そういう集中、ゆとりで見える領域や、時間軸としての欠乏や余裕といったものから出るのだろうと今は考えてる。これをもとにテニスでもいくつかの場面で考えないといけないのだと思う。

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今までもいろんな矛盾があった。体調が万全のときに最高のパフォーマンスが発揮されるとは限らない。むしろそんなときにポカをする。逆に少し疲れてるくらいのときに パフォーマンスが高い時がある。けれど疲れが溜まった状態はそれに比例してパフォーマンスも悪い。私自身の経験としても今までで最もパフォーマンスが高い試合をしたときは、膝を怪我してた。柔道の山下さんや古賀さんが怪我をしながら金メダルを取ったのは強い精神力があったのかもしれないが、それがかえって見える領域に対していい方に転がったのかもしれないとも考えられる。

時間はありすぎてもいけないし、欠乏しててもいけない。

ゆとりもありすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。

集中もしすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。

お金もありすぎてもいけないし、欠乏しててもいけない。

自由もありすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。