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芸の浅さ


年末に昔お手伝いしてくれたコーチも呼んでテニスをした。25歳以上のオールドチームと25歳以下のヤングチームで団体戦からスタート。若者のボールは速く来年に40歳になる私はますますボールが見えなくなってきてることを感じながらのプレーでした。けれど、見えなくなった分、見えるところも増えてきており、接戦を制しました。その後も若い上手いどころを見つけて試合をして、これまたボールは全然見えませんでしたが、見えてるところ勝負でタイブレークの接戦の末に勝利。

試合は全勝で気分良くタバコをすってたら、路地人さんに一言「下手になった」といわれた。若い子たちは上手くなったと褒められていたが…。しかも一番最近よくなってきたと思われるサーブについては真反対の意見だった。

大晦日は紅白歌合戦を家族で炬燵に入りながらゆっくりと観た。歌の最中にけん玉のギネス記録に挑戦するという企画に代表されるように、派手なインパクトがないと数字が取れない時代背景を考えつつ、Xjapanのyoshikiだけは浅いサプライズでのドラムなんて見せずにクラシックなピアノソロでも10分くらい弾いてほしかったものだ。ほとんどの歌手に芸の浅さがみえ、余興の渡辺直美のダンスの方が深いくらいだった。でも楽しみにしてた三浦大知だけは芸に深さのあるものを見せてもらった。

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仕事の方では、今年も紅白のけん玉企画のようなものをやれといわれて断固として拒絶してまた嫌われるんだろうけど、そんなことより下手になったといわれた捉え方とサーブと深く向き合っていかないといけない。年始も身内のコーチ同士の練習会からはじまる。レベルもこっちの方が高いから何か深いものが見えてくるかもしれない。

仕事の方では昔の紅白を取り戻す。司会はアナウンサー、演出は生演奏、生コーラス、花吹雪、野鳥の会だけでいいじゃないか。

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脈絡がない


自分なりにテニスのことが少しずつわかるようになってくると、お友達が減ってくる。根本的な間違いに気付いたりするもんだから、たかだか遊びのテニスなんだけど、何か人間否定のようなアドバイスに取られかない。だから、最近はテニスのことを話しするときにその辺を気にしすぎて他人行儀になりすぎる。ゴッドファーザーのマイケルみたいな顔をしてることが多いんじゃないかと思う。自分では認めたくないだけで、ちょっとイライラしてるから子供たちにあたってしまうこともある。すごい自己嫌悪におちいる。

今日は休日だ。

雨で子供たちの少年野球もない。こんな日は何をすればいいのだろう。嫁が部屋の模様替えをしてるから手伝うべきか。子供たちは将棋してるから一緒に遊ぼうか。それとも本でも読みながら昼寝でもしようか。そんなこと考えてたら、なぜかアメリカにレイモンドっていう女子のテニス選手がいたことを思い出した。彼女のテニスが素晴らしかったというのが頭に浮かんでくる。

どうやら今の僕には、脈絡というのがないようだ。いやむしろ脈絡をわざとつなげようとしてないのかもしれない。テニスの試合に負けるときってこんなときだよね。

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斜め


そもそも論としてテニスのサーブ用語として使われる『スピン、スライス、フラット』とは何なのだろうか。僕はそれなりに10年以上のキャリアのあるテニスコーチなんだけど、その違いをわかってない。というか正直わかろうという気がない。僕はいつもスピンサーブと思われるサーブしか教えていない。昨日の一般クラスでやってたのも、今日のトーナメントクラスでやったのも、6歳の子に教えてるのも。

そういえば私がテニスコーチになったころ、よくテニススクールのジュニアなんかにサーブのトレーニングとしてラグビーやアメリカンフットボールのような長円系のボールを投げさせているところがいくつかあったのを記憶してる。ちょっとマニアックになると長い棒状のものをやり投げのように投げさせているのも知ってる。当時は流行ってたのかもしれないが、最近はあまりみなくなった。けれど、僕の理屈からするととても正しいものである。(投げる側から見て時計回りに回転しながら軌道を作ってる)これ以外のサーブをサーブとは認めてないくらいの偏屈君である。

どんな偉い人たちに何と言われようが僕にはサーブはスピン以外にない。1985年にベッカーがフラットサーブで彗星の如く現れたといわれているが、何度もyoutubeではみたがどうみてもスピンサーブだし、マッケンローの鋭いアドバンテージコートでワイドに放つサーブも僕にはスピンサーブにしか見えない。

たぶん、僕の頭の中が傾いてて物事を斜めからしか見えないからなんだと思う。サーブが全部スピンにしか見えないのは。

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失敗のチャンス


ドラフト会議は毎年面白い。なぜ面白いかのかっていうと、誰も、誰が活躍する選手になるのかわからないからだろう。上位指名の選手が活躍するわけではないし、下位の指名選手のほとんどは一軍に一度も上がらずに戦力外になることが多いのも事実だ。それぞれの球団で独自に編み出した評価基準というのがあって、それらが数値で細かく分析されているが絶対ではない。体格に恵まれても、人より走るのが早くても、球速があっても、飛距離があっても、これから活躍する選手になるのかどうかは誰にもわからない。

先週は選挙があったらしいが、結構な数で世襲議員というのが増えてるように思う。閣僚なんて半分以上ではなかろうか。中国の共産党大会でも世襲議員が多いらしい。結局は先行きが不透明で難しいことは何かと数値だとかAIを使った指標とか、世襲なんかの血統だとか保証のようなものがないと安心できないんだろうと思う。

身も蓋もないことだけど、1割の確率でヒットを打つ人と、3割の確率でヒットを打つ人を打席に立たせても結果は10か0しかない。安心な保証のある商品を使ってみても、保証のない商品を使ってみても、故障するかしないかという結果は10か0しかない。

清宮くんが「やっとスタートラインに立てた」って言ってたけど、その通りなんだと思う。これから何をするのか。どれだけ練習するのか。どれだけの経験をつめるか。どれだけの失敗できるチャンスを作るか。

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目の強さ(研究途中経過)


夏にみんなに隠してる問題があって、それを路地人さんに相談したときに指摘されたのが『目の強さ』だった。それ以来ことあるごとに『目の強さ』について考えてる。ただ24時間ずっと考えてるわけじゃない。そんな考え方したんでは何も浮かばない。それよりも、今は将棋の竜王戦が行われている。しかも対戦カードは羽生永世名人と渡辺永世名人の戦いとあってテニスのことより興味を持って見てるときもある。

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今年の竜王戦がこの二人のカードに決まったので、早速二人の著書を読み返した。

どちらの本に書かれてる共通点として『勘』のことが出てくる。羽生さんはそれを『直感』ではなく『直観』というように、お互いの『勘』というのはお互いにみえてる世界なんだと思う。そういうところから将棋というのは実力が均衡していると意外に時間の使い方で勝敗が決するときがあることを考えた。時間がなくなるというのは誰もが追い込まれてミスをする。けれど私は事務的な締め切りのある仕事は期限ギリギリにやる傾向がある。時間がありすぎると集中できなくて逆にミスが多いからだ。そういう矛盾について考えてるとある本に出会って読んでる。

まだ全部読んでないんだけど、内容が面白くてある仮説が頭に浮かんだ。集中しないと見えないものもあれば、集中しすぎると見えなくなるものもある。ゆとりがないと見えないものもあって、ゆとりがありすぎると見えなくなるものもある。

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集中が欲しければ、ある程度追い込まれるような環境にないといけない。逆にゆとりがいるときに追い込まれる環境にあると難しい。その時々でちょうどいい塩梅が環境や集中、ゆとりというものにあるのだろうと思った。それを竜王戦を戦う二人の見てるところとして考えるとこうなった。

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こんなこと考えながら竜王戦を見ると面白いと思った。ずっと集中してることがいいわけじゃないから、対局中でもわざと遊んだり、深く考えないようなゆとりを作ったり、時間をわざと減らして追い込んだり、わざと時間を使わなかったりといろんな駆け引きがある。

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目の強さってのは、そういう集中、ゆとりで見える領域や、時間軸としての欠乏や余裕といったものから出るのだろうと今は考えてる。これをもとにテニスでもいくつかの場面で考えないといけないのだと思う。

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今までもいろんな矛盾があった。体調が万全のときに最高のパフォーマンスが発揮されるとは限らない。むしろそんなときにポカをする。逆に少し疲れてるくらいのときに パフォーマンスが高い時がある。けれど疲れが溜まった状態はそれに比例してパフォーマンスも悪い。私自身の経験としても今までで最もパフォーマンスが高い試合をしたときは、膝を怪我してた。柔道の山下さんや古賀さんが怪我をしながら金メダルを取ったのは強い精神力があったのかもしれないが、それがかえって見える領域に対していい方に転がったのかもしれないとも考えられる。

時間はありすぎてもいけないし、欠乏しててもいけない。

ゆとりもありすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。

集中もしすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。

お金もありすぎてもいけないし、欠乏しててもいけない。

自由もありすぎてはいけないし、欠乏しててもいけない。

 

 

 

もしも『待ち』ができたなら


レッスン前に少しオンコートで、今日のレッスン内容をアシスタントコーチと打合せをした。そのときに、どうも体のキレが悪いことに気づいた。そんなこと感じながら打ってたら、後ろで見てた生徒さんが動画を撮らしてくれと頼まれた。だから調子が悪くても『待ち』が作れるショットだけを撮ってもらった。

本当の実力ってのは、状況や調子の悪いときにどうするかというようなものでわかるんだけど、どうしようもない日があるのも事実だ。結局は『待ち』がない、作れない日というのは何をやってもうまくいかない。テニスだけじゃないけど、1年はおろか1ヶ月に一度、調子が悪い時期は1週間に一度とかいうペースで、そんな日があって避けることが難しい。そんな日が試合の日だとかだと絶対に勝てない。(そうならないようにピーキングがあるんだけど)

僕はそんな日が大事な日と被って、最悪な結果だったときに頭に流れてくる歌がある。

 

  もしも『待ち』ができたなら
思いのすべてを軌道にして
きみ(自分のペア)に伝えることだろう
ボディ展開にはボディ展開のよに
ストレート展開にはストレート展開のよに
打ってきたときは打ち返すよに
だけど ぼくには『待ち』がない
君に待たせるコースもない
ラケット面はいつでも半開き
使いたい腰が残される
アア アー アア ………
残される

もしも『待ち』ができたなら
小さなコースを一つだけ
きみに待たせることだろう
ペアのこと考えた展開や
心が通わぬ相手ペアや
おさえきれない相手の打ち方が
だけど僕には『待ち』がない
ペアと夢みることもない
心はいつでも空まわり
待たせるコースさえ遠ざかる

  アア アー アア ………
遠ざかる 

毎日がこんな日だと辛すぎるけど、たまのこんな日は、この歌聞いて落ちるとこまで自分を落としちゃえばイイんだよね。そしたら、また『待ち』ができるから。

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井上陽水の歌が美しいわけ


やんでるはずの雨がまだ降ってる。子供の野球のリーグ戦が中止になったので、ちょっと難しい(私にとって)本でも読もうかと思ってる。

この著者の西成先生は、車の渋滞だけでなく、あらゆることに渋滞があって、その研究をされた結果を本にまとめてる。私からすると、将棋の格言である『一番強い手が最善手というわけではない』と同じことが結論づけられているだろうと思ってる。渋滞解消のコツは『わざとゆっくり行った方が結局は早く行ける』であり、それがあらゆる分野での渋滞解消のコツになる。

西成先生の本を井上陽水をBGMにして読んでる。

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陽水も『一番強い言葉が、最も優れた言葉というわけではない』という人である。陽水の歌詞は意味がわからないようで、結局は美しいラブソングとして表現されてる。そこに皮肉も混ぜてるところが、また素晴らしい。結局は井上陽水の歌には渋滞がないのでしょう。

今日の午後には雨はあがる。テニスコートには愛好家から未来のテニス選手まで様々な人たちがプレーを楽しむでしょう。しかし、それと同時に数々の渋滞を引き起こすのでしょう。その渋滞を解消するのが私の仕事なのですが、まだまだ力不足のところがありまして。

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ただ前を見たいだけ


将棋の格言に『一番強い手が最善手というわけではない』というものがあります。恐らくは羽生さんが言った言葉だとは思うのですが。その羽生さんが著書で将棋に最も似ているものとしてテニスを挙げられていました。『一番強い手』には綺麗だとか力強いフォームも、ボールの速度も、敵のいないところへ打つというようなことも含まれていると思います。それはそれで打てれば悪いことではありませんが、相手があっての将棋でありテニスな訳ですから、自分だけじゃない限りはすべての物事においてこの格言は当てはまるのではないでしょうか。

昨日は久しぶにに練習に顔を出した学生コーチと練習したのですが、試合をした後に色々と質問されました。(質問の内容自体は前向きな質問)けれど、あまりしっくりとは来てないようでした。自分でいうのも変ですが、私の説明に問題があったわけでもなく、聴いてる子に問題があったわけでもありません。それでも分かり合えないのは『一番強い手』を打ちたい人に対して、その時々での『最善手』がなんなのかをいつも考えてる人がわかり合うのはとても難しいことです。(これは仲良しとか信頼関係があるとはまた別問題)

同じ将棋界の升田幸三先生が『将棋は人生だ』『その人生とは話し合いだ』とおっしゃられていました。テニスを人生に結び付けれるほど、私はテニスを理解していないので大それたことはいえませんが、私なりの私レベルに落とした言い回しなら『何事も一人ではできない』というようなことになるでしょうか。

だから『待つ』ということと『どこを見たいか』を大切にしていこうと思います。

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眩しすぎて


今日は岡山に来てる。車で2時間半ほどかかった。400年前ほど前に秀吉は10日間で備中高松城から京都まで移動できたことにより天下を取れた。この10日間が異常に早かったのだ。それが今では3時間とかからない。岡山は何度か来てるけど、今日来た場所ははじめてのところ。けれど、その場所のカフェも美味しいお店も名所もスマホという小さなガラス面が全部教えてくれる。これが400年前なら、そういう情報を仕入れるために、その地方の情報通への根回しが必要で、それを仕入れる忍者みたいな人がいないと正確な情報が入らなかった。信長が本能寺で死んだことも秀吉には3日後に情報として入ってる。(これも早い)

京都大学の面白い先生が長期間にわたって暗闇で生活するとどんな影響があるのか1954年からハエで実験をはじめた。その実験の途中経過として、2012年に1500世代に渡る遺伝の変化として、視覚に頼れない分、シグナルと感覚、嗅覚などの特定な能力が高くなったという結果が出たそうだ。

僕も答えはわかってる。どうしないといけないか。

車や高速道路なんか使わずに、1ヶ月ほど仕事休んで歩いて岡山に行けばいいんだ。自分で食材見つけて食べればいいんだ。なければ飢死しそうになればいいんだ。そうやっていけばすごいテニスもレッスンも上手くなるだろう。けれど無理なんだ。でも、今のままでもいけない。現実論としての可能な限りの暗闇を自分で作る必要があるんだ。

今自分にこびりつく、鬱陶しい『邪魔』たちをどうやって排除しようか。

生徒さんにまとわりついてる『邪魔』たちをどうやって取り除こうか。

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節目


出勤出勤するとときの車の中ではラジオを流してる。最近はこの季節になると『お節料理の注文販売』の宣伝が多く流れている。この9月や10月までに予約すれば、経費が計算できるから割引できるという趣旨で2万円近くのお節を1万円から1万5千円くらいで予約販売するというものだ。この宣伝が多いということは、それだけお正月に自分でお節を作る人が減っているということも意味してるのだろう。私からすれば、どうせ作らないのならお節料理自体をやめてしまえばいいと思うのだが、世間体とかいろいろあるのだろう。

長い年月が経てば、昔からの風習や伝統が変化していくこと自体は構わないと思っているが、そもそもお節料理とは、暦の上での節句に神様への感謝をこめて作る料理だった。つまり1年間に5つほどの区切りを設けて、その節目を祝うものということがお節本来の目的だったのだ。そう考えるとお節料理自体の文化がなくなることは寂しくないが、節目をおろそかにするということは寂しい。しかも、お節料理自体が三段、もしくは五段の重箱で仕切られている。これもまた節目を作っており、一段目は祝い肴、二段目は酢のもの、甘い系、三段目は焼物、焼魚、与段は煮物で五段目は控えの重といってわざと空箱にするしている。この節目の取り方も奥が深くて面白そうである。

昨日は生徒さんに渡す季刊誌を作っていた。これも私の中での節目なのだ。これを作って渡すということで私と生徒さんで節目を共有しているということになる。また、その季刊誌の内容も動きのきり方であり、これも身体の使い方、テニスボールの行き交いの中での節目である。

つまり、いろんなことで節目というのが大切で、大切にしていかないといけないものではなかろうかと思っている。その節目のタイミング、きり方、というものが良い流れを生み出し、正しい循環というものが生まれてくるのだろう。

そういえば、昔師匠にスクール日程の組み方を習ったことに「理想は年5期だな」って言ってたよなあ。

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