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ステファン エドバーグ


長男が算数で立方体の展開図がわからないと言われたので、一緒に紙で展開図を書いて立方体をいくつも作った。それから算数の展開図の問題を解かせたら、サイコロの数字などでいくつかの法則みたいな気づくところを見つけていった。長男は小さな頃話しはじめるのが遅くて少し心配したことがあるように、言葉や文章の理解力に問題がある。ただ、歴史など興味のあることなら本もそこそこ読んでる。計算も速く、法則を見つけるのも早いが、立方体の絵が書いてあり『正方形はいくつあるでしょう』という問題を『1つ』と書いて間違える。たぶん立方体と正方形の違いはわかるが、言葉としての立方体も正方形も頭の中では『同じもの』というくくりで捉えているんだと思う。正方形と長方形の違いにも興味はなく、むしろ直線で結ばれる全ての形は直角三角形からできているということなんかに興味を示すんだと思う。ただ、学校のテストで良い点をとるには致命的な欠点であるが、この欠点が私は少し羨ましいと思うときがある。

福田雅之助さんが『この一球は無二の一球なり』とはおっしゃられている。確かにそうなのだが、いろんなボールや軌道の行き交う展開で、もっと長男的なひとくくりの『同じもの』という捉え方ができないとテニスは上手くいかないと思っている。一般的なテニススクールは基本のショットが6つもあるようで、そこに球種がドライブ、サイド、アンダーと3種類あり、打つ高さもロー、ミドル、ハイと3つもある。そして、それぞれにマニュアルに書かれた指導法というのがあって、それを1期間12週で教えていくそうだ。これは私の頭ではついていけない。けれど、師匠がよく言ってた「一つできれば全部わかる」という境地にも到達してない。

1990年代にステファン・エドバーグという選手がいた。エドバーグは美しいサーブアンドボレーに、華麗な片手バックハンドを打つというところを注目された選手である。けれど、私はそこではなく一瞬にして相手の弱点(入り方)を見抜いて、相手からの打ってくるコースを潰す技術が優れていると思っている。そのエドバーグが持つ予測技術に長男的なものの見方が必要なんだと感じてる。

先に正直に書いておくが、私は長男を賢い子だと確信している。けれど、その自慢を書きたいわけではない。ものの見方に関することを書いてる。わかるかなあ…。

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無視


また僕は無視をされてる。

僕のはなし

あることで矛盾を見つけたから、それをメールで一斉送信したら無視される。ただそのメール内容は重要なことが書かれてるから、偉い人が偉い人たちに対して返信するように即すと、当たり障りのない内容の返信メールが送られてくる。そこでその当たり障りのない返信に対して、3つの問いに答えるように送ると絶対に返信はこない。

 

トニー君のはなし

トニー君が仲間同志のグループラインに真剣に訴えたことを完全無視されたようで怒ってた。名指しで「〇〇はどういうことですか」と書いての完全無視である。なんで無視したのか問い詰められてる方は、完全に追い詰められて目が泳いでた。

 

長男の学校のはなし

長男の学年でいじめが問題になってる。何やら昨年の夏から連続して「〇〇死ね」みたいな落書きが学校中に書かれているようだ。緊急の保護者会にも僕は出席したけど、先生も被害者の親も僕から見たら本質が見えてない。対策として今年から学校に防犯カメラを設置するらしい。これは加害者のSOSなのにそこを気づいてないから対策も誤る。

 

テニスと一緒で『無視される』という行為の原因は『自分』にある場合と『相手』にある場合とに分かれる。相手にある場合は気にする必要がない。むしろ優勢なんだから喜ばしいことでもある。レッスンでは対戦相手に無視されるようなことばかり教えてる。けれど『自分』に原因がある場合は少し問題がややこしい。理由を簡単に説明すると『自分』のことは意外に自分ではわからないからだ。

『僕のはなし』は心配ない。性格が悪いからわざと相手が無視しなきゃいけない状況をわかってメールしてる。今日もその返信が来なかったことをつまみにビールを飲む。『トニー君のはなし』はお互いに問題があって、お互いにがんばってるところもあるから、僕が第三者として助言させてもらった。『長男の学校のはなし』は根が深い。学校の先生も保護者も加害者が完全な悪で、大人はこれっぽっちも悪いと思ってない。何が悪いのかすら気づいてない。

『無視』って『みる』が『無い』ことなんだけど、見てなくても見えてるということと、見えてるのに見てないふりをするということと、本当に何も見えてないことがあるよね。これってテニスと同じだよね。

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その人の気持ちになって考える


ハヤブサ君にオンコートでバックハンドの指導方法を教えてたら、急にトニー君がその話を遮り「試したい形があるんです」と言い出した。想定はデュースコートでの対並行からのショートボールがきた形。ここでストレート展開をしたいが、ストレート、センターともにがっちり警戒させられた状態になってる。

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そこで、これに対する方法として紫◯の右サイドへのボディ展開をレッスンでやったらしい。

(メイン練習の青◯の状態がもっと良かったり、紫◯がディフェンスとして前に詰めてきたらアングルでも構わない)

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すると青◯に入った生徒さんの一人に、この展開を拒否されたようだ。

真剣な生徒さんであれば、悪い意味じゃなくその練習を拒否されるということはある。意外に思われるかもしれないが僕は平和主義者だ。だから、生徒さんに拒否された場合はそれを怒ったり、生徒さんとケンカになったりすることはない。でも、その拒否を妥協して自分の主張を通さない訳でもない。これが何でできるかっていうと、簡単に説明しちゃえば『経験』になってしまうけど、もう少し噛み砕くと、その生徒さんの見えてる世界をのぞき見ようとするからなんだと思う。トニー君からは、その生徒さんが誰かも聞いてるから、なおさら、その生徒さんの見てる世界を推理しやすかった。

たぶん、そのボディにつくショットだけのことではなく、その後の展開(悪い意味での)が見えてたんだと思う。

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そのボディ展開をして、紫◯からの返球がセンターにきて、自分がバックハンドボレーできるなら悪い形ではない。けれど、紫◯からストレートにボールが流れたときが問題になるんだと思う。ピンク◯がセンターに打って、寄せた緑◯にストレートに切り返されてやられる風景があったんだと思った。

だから、それを拒否した生徒さんに、この展開を促しても、そういう先が見えてしまう人ってのはどんどん頭の中が脱線してしまう。だから、そうなったら目先を変えてやんないといけない。この展開をできないのは青◯の人が悪いんじゃない。ピンク◯の人が悪いんだと。

要するに、この展開を拒否した人が見えてた世界は、自分たちがやられちゃうチョウチョ(青◯→紫◯→ピンク◯→緑◯→青)のボール回しが見えてた。その原因を作ってんのは青◯のボールじゃなく、ピンク◯のボールコースにあることを伝えりゃいいんだ。

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この場面でのストレートは紫◯がストレートに展開して、味方ペアの緑◯にチャンスを回すような意図はない。ピンチだから緑◯に助けてもらう、もしくは、ただストレートに流れてしまう(そこしかいかなかった)という状態なんだ。前者であれば、ピンク◯のボールが緑◯に流れるのは仕方ない。けれど後者ならピンク◯はまだコントロールできる。それなら紫◯のバックハンドにコントロールして、そこから紫◯→青◯→緑◯という、勝ちにつながるチョウチョに変えちゃえばいいんだ。

そこで、僕はこんなドリルをやってる。

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この図の『ここから自由』までを約束練習にした、前並行 対 前並行 のドリルだ。ここから自由であって、実は自由にはできない。要点として上手くいかなかったときに、ミスしたことじゃなく、誰に迷惑をかけたのか。ウィナーをとった人には、誰のおかげでそれができたのかをはっきり伝えてやればいい。

ということで、ここまでをまとめると、拒否した生徒さんは悪くない。むしろいろいろ見えてて素晴らしい。問題はペアのピンク◯が悪いということ。その本質はピンク◯がタテ割りを理解できてないところにある。けれど、拒否した生徒さんも青◯としての主張は正しいが、ピンク◯のポジションに立ったときに、正しくボールをチョウチョに回せるかどうか。つまり、みんな本当にタテ割りを理解してるかどうか。じゃあ、それを担当するコーチに深い解釈があるかどうかとなる。

よって、岡山の露天風呂で2時間も裸で話した僕のタテ割りを理解させることと、その大切さということがわかってくれると思う。

そして、この記事を誰に向けて書いてるかということ。この記事の内容は全部オンコートでトニー君には伝えたし、意味はわかってくれてるからわざわざ記事にすることでもない。これはハヤブサ君に書いてるんだよ。君がコーチになるための一歩として。

 

 

楽しいリズム


長男が10歳になった。子供が大きくなってくると、その教育方法で嫁と意見が合わないことが出てくる。一日30分から1時間は机に向かう時間を作るとか、塾の短期講習を受けさせるとか…。僕はそれらがみんな反対意見。まだ遊ぶ時間が足りない。もっと遊んでほしい。遊ぶ時間が多ければ多いほど賢くなる。子供たちが遊んでる姿をちょっとだけじゃなく、長時間見たことある人って少ない。僕みたいな暇人間でないと難しい。子供たちは飛び跳ねて全身でリズムをとってる。スキップして楽しさがにじみ出てる。

テニスでは遊ぶ時間を自分で作らないといけない。遊ぶ時間は相手が対ボレーなら、自分の打ったボールがネット越えるまで。対ストロークなら自分の打ったボールがバウンドするまで。この遊ぶ時間が多ければ移動がスムーズだし、ショットにゆとりがあるし、運ぶのも、引きつけてコースを突くこともできる。つまり自由になれることが多くなる。生徒さんのレッスンやレンタルコートやってるところを長時間見たことある人って少ない。僕みたいな暇コーチじゃないと難しい。生徒さんは全身でリズムがとれてない。足は細かく動いてるけど忙しなさがにじみ出てる。

僕みたいに大人になっても遊びすぎの人間は良くない。けれど、真面目だけど忙しいばかりの人間もくだらない。その間のちょうどいい塩梅があって、そんな子に我が子も育てたい。この概念を嫁にどう伝えるかが問題だなあ。

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運んで見つける第三の選択


江戸幕府は薩摩藩と長州藩が同盟を組んで倒したとされている。けれど薩摩藩と長州藩だけでは幕府は倒せなかっただろう。やはり坂本龍馬が先見性のあるリアルな形勢判断をしたおかげで明治維新があったのだと思う。薩摩藩も長州藩もそれぞれにポテンシャルの高い藩であったことは間違いない。ただ、思想といい行動力といい元気がよすぎてとても偏ったところがあったのも事実である。だから、歴史上の大きな出来事として扱われてないけど、薩英戦争や下関戦争といった外国との無謀な戦争でボロ負けしているという事実がある。

これとよく似た形として、テニスのダブルスにおけるハイボレー展開というのがある。自分側だけの形勢判断として有利だと勘違いして、ハイボレー=チャンスボール、絶対的有利という偏見を持ってしまう人が多い。浮いたボールは全てがチャンスだと叩いてばかりいたのでは薩長と同じでボロ負けしてしまう。そこで坂本龍馬の形勢判断を自分の体の中に入れてあげないと勝てない。

例えばこんな場面。

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相手の足元に落としたから浮いてきた。本当に軌道が見えていて入り込めてるなら打っていいときもあるが、どんなときもそんなベストな状況であるとは限らない。しかも、相手は沈められてしまったがために浮いたわけだから、それなりに次はディフェンシブに待たれる。打ち方もよく見られてる。また、自分側もサービスライン上であり、抑えて打つにはネットの高さが気になってしまう冷静に考えると難易度が高いショットなのだ。

坂本龍馬的な形勢判断がないと、意味なく叩いてしまう。たまにそれで決まったりするもんだから余計に理解できない。しかも、相手はディフェシブだから手前にバウンドしてストロークのように処理されてしまう。要はいろいろと危ないのだ。

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これはまさに薩摩と長州が、槍や鉄砲で最新鋭の長距離大砲を持ったイギリスやフランスと戦って勝てると思ってたほど愚かなことである。そこで最近のレッスンでやってるのが、この場面で相手にハイボレーさせるという展開である。

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要点はサービスライン上のハイボレーを、相手にハイボレーさせるということではない。それが絶対的な正解ではない。坂本龍馬の最も優れているのは、理想論と現実論の狭間で二者択一ではなく第三の選択を探す努力をしたところにある。大政奉還は龍馬の第三の選択だし、龍馬が殺されてなければ戊辰戦争で多くの犠牲者を出す必要がなかったかもしれない。つまり坂本龍馬は叩くという行為が最後の最後であり、基本的に運ぶという選択肢を探し続けた人なのだ。

龍馬に理解のある中岡慎太郎でさえ、龍馬のやることは生ぬるいという不満があったようだ。もっと一気に叩いてしまえばいいのにと思われていたそうだ。その龍馬を殺す必要があった人物は、龍馬に並ぶ形勢判断のできた人物であるのだろう。並みの人間では龍馬のやろうとしてることがどういうことかなんて理解できない。

本当に気をつけなきゃいけない攻撃とは、叩いてくることではない。運ばれてくるときだ。

 

 

 

忙しいのに


レッスンのボール出し練習では上手く打てるようになってきた。けれどラリー練習やゲーム形式になるとそれが使えない。そこで使えてなければ試合では出来ない。試合でできないということは率を上げる練習ができないから、プレッシャーのかかる公式戦ではもっと使えない。その山登りの中で橋のない大きな谷底があるから停滞してしまう。

ファーストボレーが良かったら、次のセカンドボレーも合うようになってきてる。猪木待ちからのスマッシュやハイボレーも上手くなってきてる。けれど序盤の展開が上手くいかない。いや、その上手くいかないと思ってるのが私だけで生徒さん側がそれに気づいてない。だから谷底に落ちてしまうんだ。

そこで私が考えているのが、形勢判断のやり方だ。生徒さんのほとんどが序盤戦の形勢判断を過大評価して間違えてる。今日のレンタルコートに来てた生徒さんたちを見て確信した。生徒さんたちは生徒さんたちの中でいいプレーがあって喜んでるんだけど、私から見た形勢判断では、全然有利な状況を作れたわけじゃない。それが見えてるから、いいボールでナイスポイントしても、その前のことにダメ出しするから、生徒さんのホッペを膨らましてしまい、口を尖らせてしまう。

じゃあ少し私の中の形勢判断を紹介させてもらう。

まず、テニスというスポーツはコントロールするということが容易ではない。だから他人のプレーを見てると、いい打ち方したとか、ボールに勢いがあったとか思っても、打ってる本人としては多かれ少なかれ、少し差し込まれており、たまたまボールが深くなってたとか、少し慌てて引っ掛けており角度がついてしまったというように、いつも想い通りにコントロールできてるわけではない。そんな中での、よくあることとして雁行陣から前並行陣をとるアプローチ、ファーストボレーの中での形勢判断をしてみる。形勢判断の基準は次の通りである。

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まずは、少し打ち方的に始動が遅れて思ったより深くなった。けれどなんとかアウトせずに済んだようなアプローチが打てた場合。

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実は思い通りにコントロールできたわけでもないのに、ここで有利だと形勢判断してる人が多い。例え深いボールで相手の状態が良くないにしても、次に迷いもあるわけだし、思ったより自分のボールスピードも出てる分時間に余裕もない。しかも、上手く合わせられたら、結構速いボールが返ってくる可能性もある。また、相手側の形勢判断を考えるとこっちが狙い通りかどうかは別にしても、深いボールであることには違いないから互角以上にいい状態だとは形勢判断しない。だから、次にこっちからあまいボールがくるとは考えてない。そのためこっちの打ち方を見てくるだろうし、ややディフェンシブに待たれる。そんな中でも決めれるようなボールが打てる身体能力があればいいが、そんなのアマチュアレベルでは持ってない。こう考えていくと、この場面での形勢判断は互角はおろか、やや不利であるという位置付けにすべきなのだ。

じゃあ、それで次のファーストボレーをどう考えるか。

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次のファーストボレーでも、形勢判断的にはやや有利という位置付けに持っていけたらいいくらいに考える。それは仮に浮いてきたとしても、コース的に自分の前に飛んできても同じである。形勢判断的に互角付近の位置づけから、かなり有利、勝勢まで欲を出してしまうと迷うし見えなくなる。また、仮に思ったより有利方向に位置付けを動かせるかどうかの判断として、相手側の形勢判断が不利から互角、もしくはやや有利と思わせるような展開になれば、切り返していいときもある。

では続いて、ある程度スピードは抑えたが、コントロールとしては思い通りのアプローチが打てた場合はどうか。

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この場合でも形勢判断としての位置付けは互角、やや有利程度である。むしろ、こういうコントロールを優先さした展開では、相手の形勢判断を誤らせるという目的がある。自分としては互角なのだが、相手にとってはスピードもないし、厳しい角度を付けられてるということでもないから、むしろ相手側にとって有利だと思って、打ってきたり、センターへついてきてくれると、こちらが有利になる。

そういうこと考えながら、次のファーストボレーはどうするか。

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ここもいい形であったとしても、有利になればいいくらいのファーストボレーになる。一気に勝勢になんて欲は出さない。でも、相手の形勢判断が有利な方に誤って位置付けされていたら、そのボールがウィナーやエースになることがある。けして、勝勢に一気に持っていこうとしたウィナーやエースでないことを理解すべきである。

それでは最後に、スピード、コースといい完璧なアプローチが打てたらどう形勢判断するか。

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答えはそれでもやや有利くらいに考えるべきだ。理由は相手側の形勢判断にある。これに関しては、この状況での負けを相手側も認めてる。この劣勢状態からコツコツと互角に戻すのが難しい状況であるため、ここでは一か八かの大きな形勢判断の位置付けが変わる切り返しを狙ってくる。そのかわり相手側は次の準備が遅れるわけだから、次に会心のショットなんて打てなくていい。だからこんな場面においても過大評価する形勢判断をすべきではない。

書き出すと止まらなくなるが、仕事がいっぱいたまってる。これくらいにして、この形勢判断をどうやってレッスンで落とし込むか、この土日で考える。路地人さんから電話もあったし、はやぶさ君が胃腸炎になるし、特別プライベートレッスンの抽選してないのも生徒さんに急かされたし。

忙しいのに…。

 

 

 

 

39の夜


今、学校で習ってる小数点が苦手な長男に、小数点を教えてくれと嫁に頼まれた。真面目に教えようとお父さん先生をしたけれど、話はどうも脱線してしまう。息子に聞くと消費税の問題が出るらしく、消費税を説明しようとしたことが話が脱線しすぎた理由だと思う。

物事を分類するという中で『変わるもの 変わらないもの』という概念で分類するというのはオーソドックスなやり方だ。経費でも売上でも『変動 固定』にするということから始めるように。消費税の計算方法なんて値段に1.08かけるのと、逆に割るのと、0.08かけるくらい覚えてりゃ、あとは計算機で簡単にわかる。けれど消費税だけじゃなく、これから税法というのがどう変わっていくのかは難しい。それで税とはどういうもので、昔はそれがお金じゃなくてお米だったとか秀吉の太閤検地とかを説明しはじめたらどんどん脱線していった。税は消費税だけじゃなくいろんなものにかかっていて所得税から土地、自動車、酒、煙草などの税率を一緒に調べていった。所得税なんかは年収の額が大きくなるにしたがって割合も大きくなるから、私の給与明細を見せて実際に計算したり、大きな金額を稼ぐプロ野球選手の所得税を計算したりして遊んだ。

すると話はまた脱線して、小数点というものを扱う数字が変化するものに多いということに子供が気づいたから話は確率の話になった。長男がやってる野球も打率や防御率といった数字がある(防御率は少し難しいからパス)それをまた遊びながら計算したりした。

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あまりに脱線しすぎたので、私ははじめに長男に何を 伝えたかったんだろうかと考えた。最も伝えたかったのは『変わるもの 変わらないもの』があるということだ。『変わるもの』が一つ変わると他にも変わる部分がある。そして、それがなぜ変わったのかということを理解することの大切さである。それに『変わらないもの』もある。それはそれで『変わるもの』に影響されても変えちゃいけないものもあるということだ。よくよく考えると、私が生まれたときに消費税なんてなかった。はじまった当初は3%だった。学生時代は5%だった。自動販売機のジュースをはじめて買ったときは100円だったし、よく買ってた頃は110円だった。けれどいつに間にか130円になってる。そんな話をしてたら尾崎豊の『15の夜』が頭に流れてきて、昔は自動販売機のジュースが100円だったことを証明するために聴かせてあげた。

最初は『闇の中 ぽつんと光る 自動販売機 100円玉で買える温もり 熱い缶コーヒー握りしめ』を聴かせるだけだった。けれど、歌詞冒頭の『落書きの教科書と 外ばかり見てる俺』にはじまり、やりばのない気持ち 逃げ場のない 背を向けながら 大人たちを睨む 家出の計画を立てる 自分の存在  誰にも縛られたくない 逃げ込んだ夜… と、なぜか心に響くフレーズばかりだった。そういえば、先月の会議みたいなやつで、私はずっと落書きして別のことを考えてた。真剣に話せばウザがられ、現実論を話せば場をしらけさす。昼ごはんも一人で食べて、夜の忘年会も辞退して一人で帰った。私が尾崎豊を知ったのは中学二年生だった。14歳で聴いたときも同じように心に響いたことを今でもはっきりと覚えてる。それが39歳になった今でも心に響く。9歳の長男の心にもいずれ響く歌になるのは間違いない。

あっ、そんなことより自分がテニスコーチだということを忘れてた。相手がベースラインにいても未来永劫ずっと後ろにいるわけじゃないよ。チャンスボールだと思っても、自分はどこに立ってるの?そして相手はどこに? そのためにはどんな軌道をどこまで描くのかな。そして次にどこへポジションを変えるのかな?

テニスでは行く先のわからないまま走り出したら駄目だよ

自由になれた気がしたでは駄目だよ

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迷うということ


12月にもなると至る所で、今年一年を振り返るようなことが多くなる。私もついこないだスタッフミーティングを開いた。そこで私なりの反省としてここ数年に渡って自分の『直感』に頼りすぎたことをスタッフに詫びた。いわゆる少し調子にのっていたところがあったと感じてる。昨日は将棋界で前人未到の永世7冠という記録を棋士の羽生善治さんが達成された。その羽生さんへの憧れもあり、羽生さんの著書によく出てくる『直観力』というものを、自分に都合の良いようにだけ解釈してしまった節がある。私の現在の能力では『直観の7割は正しい』というレベルになく、そのレベルでの直感を使ったのでは確率的にも50%という半丁博打みたいなものでしかない。テニスの試合に勝つ傾向の一つとして、3ポイント連取の数が多い方が勝つというものがある。半丁博打の確率で、3ポイント連取するというのは1/2の3乗だから12.5%しかない。つまり博打程度の確率では何をやっても上手くいくはずがないのである。

生徒さんには「迷うな」と言っておきながら、私自身が勘違いで迷ってないと思っていただけであり、実際には迷うべき能力しかないことを気付かされた一年だった。しかし、勝ち続けている頃の裏腹にある不安ではなく、負けてもその根拠がはっきりして見えていると逆に不安が少なく、前向きに進めそうな気がしているのも事実である。迷う状態というのは状況として良くないのかもしれないが、それは進歩していく中で必要なものでもあると考えられる。逆に迷ってないというのは、状況として良いときもあるのだが、勘違いや自惚れで、本当は理解していないのに理解してると思い込んでるときでもある。

『忘れる』ということにかけては右に出る者がいないといえるほどの得意分野なんだから、正しい反省をして来年につなげていけたらなと思いながら、独りで煙草をふかす夜であった。

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上達


自分でテニスが上手くなったなあって思うときがある。他人に自分のテニスが上手くなったと思われるときがある。それぞれに感じるところがあって思うんだろうけど、その本質的な部分まで掘り下げていくと結局は『予測できること』が増えたんだと考えてる。ただし、予測ができるという一点で考えているのではない。例えばサーブに問題があってそれを克服するために練習してセカンドサーブの質と率が良くなったために、ファーストサーブに余裕ができたり、サーブ打った後の展開が早くなったりというようにショットや動き、確率といった線としての流れを通して『予測できること』が増えたという考えだ。

すると、この私なりの上達の解釈から考えた場合に『予測できること』が増えるというのには大きく二つのルートがあると考える。一つ目は打ち方から入るルートと、二つ目は展開から入っていくルートである。線で考えるからには、打ち方も展開もどちらも必要なのだが問題は順番と重要度だ。私はこの二つのルートに正解はないと思っているが、人によっての適正と不適正があると考えているのだ。

そこで考えるべきは体力、時間、環境である。年齢的にも若く、体力もあり身体能力的にも欠陥が少ない。しかも時間的なゆとりもある。日に4時間以上、週に5日はテニスをできる。環境も自宅や近所にテニスコートがあるとか、その練習レベルに合った練習相手もいつもいる。極端な例ではあるが、このくらい体力、時間、環境にゆとりがあれば打ち方から入る方が適正であろう。もっとゆとりがあれば肉体改造することも可能かもしれない。しかし、ほとんどのテニス愛好家にそんなゆとりはない。それなのに展開よりも打ち方が大好きな愛好家が多い(これは日本人特有なのかもしれないが)

持論ではあるが、テニスはフィットネスではなくゲームだと思ってる。相手があってのテニスであり、そこには相手のことを考える、見るといった『予測ができること』がベースにあると思ってる(持論ではあるがとは書いてるけど本音は絶対にそうだと思ってる)そして、それを考えて、それを意図した軌道を描くことができれば自然と打ち方は適切になってくる。これがあってからの打ち方の反復なんだと思う。

そして打ち方の反復には時間、場所と相手がいる。それを自分に合わせて手配できる人は少ない。そこで私が重要だと思うのが『ひとり練習』だ。壁打ちを含めて、自分でボールを打ったり、何かをボールと見立ててイメージしたりというようなひとり遊びができないと上達しない。(今同業の若い連中にやらしてるのもこれを学ばせるため)ただし『ひとり練習』であり『ひとり遊び』でもあるのだから、これを心底楽しめるというのも才能の一つである。忙しい奴より暇つぶしの上手い奴に賢いのが多いのもこれがある。

どっからボールは飛んできたの

どんなボールが打ちたいの

それは何のために

じゃあどんな軌道にすればいいの

じゃあそこを見ればいいじゃん

次に動いてりゃいいじゃん

 

たったこれだけなのにね。

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練習とは


練習というのは実践に即して行うというのが基本だ。けれど例えばテニスの練習で手でボールを送ってもらう練習がある。これは現実にはありえない軌道で飛んでくるボールを打つんだから一見すると実践には即していない。ネットの向こう側からラケットでボールを送っても、送る側の立つ場所であったり角度によっては実践に即しているとはいえない。しかし、こういった一見すると実践に即していない練習というのは全てが間違いではない。むしろ過程としてみると絶対といっていいくらい必要だ。問題はそれをやれと指示するコーチ側や、それを出してくれと頼む練習する側がどういう意図でやっているかということが大切なことだ。また、その意図というものは同じメニューでもコーチ側や練習する側によって違いがある。

野球のイチロー選手が打席に入る前の素振りである。 

この動画の後ろ(ベンチの中で)にもイチロー選手と同じ左バッターが、相手投手のピッチング練習にタイミングを合わせてる。けれど意図は明らかに違うように思われる。私もテニスでこのイチロー選手のような素振りや、自分でトスして同じような形でゆっくり打つという遊び練習をよくする。ただし、当然ながらこの意図とイチロー選手の意図が同じかどうかは、その本人同士に聞いて見ないことにはわからない。

どんな世界でも、技術を習得するというのに練習は不可欠だ。そのときにどんな世界でも、その世界でのメジャーな練習方法というのがある。その数はさほど多くはない。しかし、それぞれの練習の意図というのは深く掘り下げていくとたくさんある。けれどこの深い部分での掘り下げなしに技術の習得は難しいと思っている。また、その意図が時とともに新たに加わったりするもの、変わることというのもある。逆に深く掘り下げないにしても、絶対にこの目的でやっちゃいけないこと、こういうやり方を絶対にしちゃいけないことというようなことくらいは理解してやらないと、余計に悪い癖がついて、練習時間と技術向上が比例しない。

そして、それらの意図というものに一貫した繋がりが必要だ。それを脈絡といい、練習には目的に沿った一貫した大きな芯が通ってなきゃいけない。これら全てを含めて『実践に即した練習』と私は解釈してる。

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