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ステファン エドバーグ


長男が算数で立方体の展開図がわからないと言われたので、一緒に紙で展開図を書いて立方体をいくつも作った。それから算数の展開図の問題を解かせたら、サイコロの数字などでいくつかの法則みたいな気づくところを見つけていった。長男は小さな頃話しはじめるのが遅くて少し心配したことがあるように、言葉や文章の理解力に問題がある。ただ、歴史など興味のあることなら本もそこそこ読んでる。計算も速く、法則を見つけるのも早いが、立方体の絵が書いてあり『正方形はいくつあるでしょう』という問題を『1つ』と書いて間違える。たぶん立方体と正方形の違いはわかるが、言葉としての立方体も正方形も頭の中では『同じもの』というくくりで捉えているんだと思う。正方形と長方形の違いにも興味はなく、むしろ直線で結ばれる全ての形は直角三角形からできているということなんかに興味を示すんだと思う。ただ、学校のテストで良い点をとるには致命的な欠点であるが、この欠点が私は少し羨ましいと思うときがある。

福田雅之助さんが『この一球は無二の一球なり』とはおっしゃられている。確かにそうなのだが、いろんなボールや軌道の行き交う展開で、もっと長男的なひとくくりの『同じもの』という捉え方ができないとテニスは上手くいかないと思っている。一般的なテニススクールは基本のショットが6つもあるようで、そこに球種がドライブ、サイド、アンダーと3種類あり、打つ高さもロー、ミドル、ハイと3つもある。そして、それぞれにマニュアルに書かれた指導法というのがあって、それを1期間12週で教えていくそうだ。これは私の頭ではついていけない。けれど、師匠がよく言ってた「一つできれば全部わかる」という境地にも到達してない。

1990年代にステファン・エドバーグという選手がいた。エドバーグは美しいサーブアンドボレーに、華麗な片手バックハンドを打つというところを注目された選手である。けれど、私はそこではなく一瞬にして相手の弱点(入り方)を見抜いて、相手からの打ってくるコースを潰す技術が優れていると思っている。そのエドバーグが持つ予測技術に長男的なものの見方が必要なんだと感じてる。

先に正直に書いておくが、私は長男を賢い子だと確信している。けれど、その自慢を書きたいわけではない。ものの見方に関することを書いてる。わかるかなあ…。

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長文の記事になるなと思ったけど、書き始めたら短くまとめざるおえなくなった記事


まだ『たくさん』とは言えないが、最近になって同業の方から『コーチを探してる。早急に必要だ』という連絡が2件あった。たった2件だから『たくさん』ではないけれど、いずれこれが『たくさん』になることは間違いないように思う。テニススクールの業界なんて規模としては小さいけれど、大きな規模の企業では『人手不足』が深刻で大手同士で協力しないとやっていけない事態に陥っているようだ。長距離ドライバーが人手不足で車を運ぶのに大手自動車メーカー同士が同じトラックでシェアしているそうだ。

人工知能が発達して、ロボットが仕事を奪うという点において、テニスコーチはロボット的に仕事を奪いにくい職業。けれどテニススクールで雇われているテニスコーチは人手不足で経営が成り立たなくなるだろう。人手不足が起こると、待遇が改善される。けれどテニススクールのような業界にこれ以上の待遇をあげる体力は間違いなくない。つまりテニススクールはテニスコーチが見つからないという理由からの廃校が増えると予測する。僕がこの仕事を続けていけるのも長くて東京オリンピック頃までだと思う。

今回の記事内容は書きながら思ったけど、なかなか書きにくい。匿名ブログとはいえ色々知りすぎてるからあまり詳しく書けないことが多い。とりあえず、まとめるとテニススクールに勤めてるテニスコーチってのは僕らの世代が最後だと思う。(今の業界のままなら)

テニススクールで、テニスを教えて飯を食ってたなんて孫に話すと驚かれるんだろうなあ。それが仕事だったから手書きのレッスンノートなんて見せたらびっくりするだろうなあ。

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ゆっくりやると早くなる


今日は31日の月末日。うちは優秀な若手がいっぱい月末月初の仕事をやってくれるから、私の仕事はほとんどない。しかし、その少しだけの業務ですら、やろうとしても身体が動かない。やらなきゃいけない日に限って朝早くに目が覚めて、こうしてブログなんか書いてる。こうやってどんどん時間がなくなっていくのが毎月のことである。

寝てる時というのは意識がない。その中で『時間』を認識することは出来ない。けれどずっと寝てるわけじゃないから、眠る前と起きたときに意識できる変化で、どれくらい睡眠したのかを理解している。「ちょっと眠たいな」と思って眠り、起きたら「スッキリした」という意識の変化で睡眠が十分に取れたと認識する。夜の暗闇から、起きたときは閉めたカーテンの隙間から日が差してるという風景の認識。あくまで時計の針の変化、デジタル数字の変化というのは確認でしかない。意識のこととして「楽しいときは時間が経つのが早い」っていうけれど、「何かやらなきゃいけない」っていう未来も時間経過が早く感んじる。それは楽しい時間ではないけれど。

これからやらなきゃいけないことを処理するのは、時間があっという間に訪れて、進行している時間は長く感じる。楽しいってのは意識の中で、創造したり、試したり、挑戦したりと遊んでる。こういうときは楽しみが膨らみ、進行するまでの時間にやることがいっぱいある。進行しはじめたらあっという間に終わってしまう。時間がない状態を人は『忙しい』という。それは読んで字のごとく心を失ってる。ゆとりがない状態を人は『忙しない』という。これも心を失ってる。

まず『ゆっくり』やる時間をとるところから。ボールのスピードも動きも

そして『前を見る』ところから。ボールの動きを追わない

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子供から学んだこと


僕らの仲間内ではレッスン中に『揚げ足取り』のアドバイスをしちゃうことが悪になってる。これを言いはじめたのは仲間の路地人さんである。いつもおかしなことばっかり言ってるけど、たまに心に突き刺さるいいことを言う人で、そのいいことの中の一つである。それを聴いてどう解釈してるのかはそれぞれの世界観だから何でもいい。そう考えてたらムーくんがあるコーチに、子供のレッスンのことでラインにアドバイスを送ってた。それを観た僕は、そのコーチでは、その言葉の意味がわからないのではないかと思い、自分の世界観の中の『揚げ足取り』に関する意味をラインで送った。

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『揚げ足を取る』という意味を調べれば 言葉尻や言い間違いといった ちょっとした失敗などを取り上げて責めること というようなことが書かれている。確かにそいう意味で誰もが解釈してるけど、もう少し深く掘り下げると、人によってその解釈や世界観というのは違う。

なぜ『真似すること』が大事なのかは、この人それぞれの解釈や世界観を、真似してる人の世界に入り込んで冒険することにある。その冒険の後にもう一度真似したものが本当の自分の姿である。

これが、僕の子供から学んだ大切なことの一つ。

 

 

 

練習とは


練習というのは実践に即して行うというのが基本だ。けれど例えばテニスの練習で手でボールを送ってもらう練習がある。これは現実にはありえない軌道で飛んでくるボールを打つんだから一見すると実践には即していない。ネットの向こう側からラケットでボールを送っても、送る側の立つ場所であったり角度によっては実践に即しているとはいえない。しかし、こういった一見すると実践に即していない練習というのは全てが間違いではない。むしろ過程としてみると絶対といっていいくらい必要だ。問題はそれをやれと指示するコーチ側や、それを出してくれと頼む練習する側がどういう意図でやっているかということが大切なことだ。また、その意図というものは同じメニューでもコーチ側や練習する側によって違いがある。

野球のイチロー選手が打席に入る前の素振りである。 

この動画の後ろ(ベンチの中で)にもイチロー選手と同じ左バッターが、相手投手のピッチング練習にタイミングを合わせてる。けれど意図は明らかに違うように思われる。私もテニスでこのイチロー選手のような素振りや、自分でトスして同じような形でゆっくり打つという遊び練習をよくする。ただし、当然ながらこの意図とイチロー選手の意図が同じかどうかは、その本人同士に聞いて見ないことにはわからない。

どんな世界でも、技術を習得するというのに練習は不可欠だ。そのときにどんな世界でも、その世界でのメジャーな練習方法というのがある。その数はさほど多くはない。しかし、それぞれの練習の意図というのは深く掘り下げていくとたくさんある。けれどこの深い部分での掘り下げなしに技術の習得は難しいと思っている。また、その意図が時とともに新たに加わったりするもの、変わることというのもある。逆に深く掘り下げないにしても、絶対にこの目的でやっちゃいけないこと、こういうやり方を絶対にしちゃいけないことというようなことくらいは理解してやらないと、余計に悪い癖がついて、練習時間と技術向上が比例しない。

そして、それらの意図というものに一貫した繋がりが必要だ。それを脈絡といい、練習には目的に沿った一貫した大きな芯が通ってなきゃいけない。これら全てを含めて『実践に即した練習』と私は解釈してる。

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展開


多数決で物事を決めるって公平なようでそうではない部分がある。正しいかどうかもわからない。例えば我が家族は男が3人で女が1人なんだから、多数決で物事を決めてしまうと嫁が全て不利になる。じゃあ権力で全てを決めたらどうなるか。これも問題が多い。我が家で働いてるのは父親の私だけなんだから、家族で旅行に行くのも、食事にいくのも全て私が稼いだお金を使うことになる。けれど、その権力を生かして全て私が決めてしまうと他の誰も喜ばない。

しかし、優柔不断も良くないように物事の決定が多数決であれ、権力であれ決まらない、もしくは決めるのが遅れるというのも困ったものである。ただ、その決定方法によく使われる多数決と権力というものがあまりにも強すぎて良くない結果を生み出しているような気がする。物事の決定、判断、決断には強い方法よりは、もっと抑えた少し弱いんじゃないかと思われるような方法が必要であるような気がする。たまには最も弱い立場の人間の意見を尊重したり、たまには最も強い力のある人に委ねるということもいいだろう。また、多数決もどんなに議論を重ねても決まりきらなくての最終手段として使えばみな納得することができるし、権力があるってことは同時にそれなりの責任があるわけだから、責任をとる人の立場も考える必要がある。

何かいろんなことで『浅いよなあ』って思うことが多い。私が教えてるテニスでも角度が鋭角ならナイスコースだとか、相手がいないところへ打てば「よく見てた」とか、スコアがなら6ー1なら圧勝だとか…。子供のテストでも90点以上だとよくできましたで、50点以下だと理解してないとか、会社の利益なら前年比増なら評価は高く、前年比を下回るとがんばってないとなる。つまり、物事をもう少し違った角度、深く掘り下げるってのは、もっと強くするのではなく、もう少し緩める弱い手の選択が必要な気がする。まだ、いろんなことで真実も本質も見えてないんだけど、そこに真実や本質は隠れてるんだと思う。それを展開というのだろう。

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斜め


そもそも論としてテニスのサーブ用語として使われる『スピン、スライス、フラット』とは何なのだろうか。僕はそれなりに10年以上のキャリアのあるテニスコーチなんだけど、その違いをわかってない。というか正直わかろうという気がない。僕はいつもスピンサーブと思われるサーブしか教えていない。昨日の一般クラスでやってたのも、今日のトーナメントクラスでやったのも、6歳の子に教えてるのも。

そういえば私がテニスコーチになったころ、よくテニススクールのジュニアなんかにサーブのトレーニングとしてラグビーやアメリカンフットボールのような長円系のボールを投げさせているところがいくつかあったのを記憶してる。ちょっとマニアックになると長い棒状のものをやり投げのように投げさせているのも知ってる。当時は流行ってたのかもしれないが、最近はあまりみなくなった。けれど、僕の理屈からするととても正しいものである。(投げる側から見て時計回りに回転しながら軌道を作ってる)これ以外のサーブをサーブとは認めてないくらいの偏屈君である。

どんな偉い人たちに何と言われようが僕にはサーブはスピン以外にない。1985年にベッカーがフラットサーブで彗星の如く現れたといわれているが、何度もyoutubeではみたがどうみてもスピンサーブだし、マッケンローの鋭いアドバンテージコートでワイドに放つサーブも僕にはスピンサーブにしか見えない。

たぶん、僕の頭の中が傾いてて物事を斜めからしか見えないからなんだと思う。サーブが全部スピンにしか見えないのは。

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ただ前を見たいだけ


将棋の格言に『一番強い手が最善手というわけではない』というものがあります。恐らくは羽生さんが言った言葉だとは思うのですが。その羽生さんが著書で将棋に最も似ているものとしてテニスを挙げられていました。『一番強い手』には綺麗だとか力強いフォームも、ボールの速度も、敵のいないところへ打つというようなことも含まれていると思います。それはそれで打てれば悪いことではありませんが、相手があっての将棋でありテニスな訳ですから、自分だけじゃない限りはすべての物事においてこの格言は当てはまるのではないでしょうか。

昨日は久しぶにに練習に顔を出した学生コーチと練習したのですが、試合をした後に色々と質問されました。(質問の内容自体は前向きな質問)けれど、あまりしっくりとは来てないようでした。自分でいうのも変ですが、私の説明に問題があったわけでもなく、聴いてる子に問題があったわけでもありません。それでも分かり合えないのは『一番強い手』を打ちたい人に対して、その時々での『最善手』がなんなのかをいつも考えてる人がわかり合うのはとても難しいことです。(これは仲良しとか信頼関係があるとはまた別問題)

同じ将棋界の升田幸三先生が『将棋は人生だ』『その人生とは話し合いだ』とおっしゃられていました。テニスを人生に結び付けれるほど、私はテニスを理解していないので大それたことはいえませんが、私なりの私レベルに落とした言い回しなら『何事も一人ではできない』というようなことになるでしょうか。

だから『待つ』ということと『どこを見たいか』を大切にしていこうと思います。

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節目


出勤出勤するとときの車の中ではラジオを流してる。最近はこの季節になると『お節料理の注文販売』の宣伝が多く流れている。この9月や10月までに予約すれば、経費が計算できるから割引できるという趣旨で2万円近くのお節を1万円から1万5千円くらいで予約販売するというものだ。この宣伝が多いということは、それだけお正月に自分でお節を作る人が減っているということも意味してるのだろう。私からすれば、どうせ作らないのならお節料理自体をやめてしまえばいいと思うのだが、世間体とかいろいろあるのだろう。

長い年月が経てば、昔からの風習や伝統が変化していくこと自体は構わないと思っているが、そもそもお節料理とは、暦の上での節句に神様への感謝をこめて作る料理だった。つまり1年間に5つほどの区切りを設けて、その節目を祝うものということがお節本来の目的だったのだ。そう考えるとお節料理自体の文化がなくなることは寂しくないが、節目をおろそかにするということは寂しい。しかも、お節料理自体が三段、もしくは五段の重箱で仕切られている。これもまた節目を作っており、一段目は祝い肴、二段目は酢のもの、甘い系、三段目は焼物、焼魚、与段は煮物で五段目は控えの重といってわざと空箱にするしている。この節目の取り方も奥が深くて面白そうである。

昨日は生徒さんに渡す季刊誌を作っていた。これも私の中での節目なのだ。これを作って渡すということで私と生徒さんで節目を共有しているということになる。また、その季刊誌の内容も動きのきり方であり、これも身体の使い方、テニスボールの行き交いの中での節目である。

つまり、いろんなことで節目というのが大切で、大切にしていかないといけないものではなかろうかと思っている。その節目のタイミング、きり方、というものが良い流れを生み出し、正しい循環というものが生まれてくるのだろう。

そういえば、昔師匠にスクール日程の組み方を習ったことに「理想は年5期だな」って言ってたよなあ。

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ひとつだけ


今年の6月に永射保さんというプロ野球選手が亡くなりました。

身長も低い選手でした。

腕のリーチも長くありませんでした。

ストレートも130キロしか出ません。

鋭い変化球もありませんでした。

しかし、今では当たり前のワンポイントリリーフというポジションをはじめて確立した選手になり、ほとんどの選手が3年以内に戦力外になるプロ野球の世界で19年も現役で働きました。

永射さんは、左のアンダースローという珍しい変則投法と踏み込み足のタイミングを変則にして、左強打者のタイミングを外すことだけにこだわった術を独自で編み出したのです。

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踏み込んだと見せかけて、踏み込んでない。踏み込んでないと思わせて、急につま先で地面を刺す。スピードとボールの変化の鋭さで勝負する華やかなプロ野球の世界で、地味に踏み込み方だけでタイミングをずらしてギリギリのところで抑えてきた永射さんが大好きです。

ひとつだけ

ないものを追っかけるより、身近にある、本当は素晴らしいのに忘れ去られてるものだったり、短所と短所がかけ合わさって、実は長所になってるもの。何かそんなものとの出会いって、とても素晴らしいことなんじゃないかなと思いました。

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