カテゴリー別アーカイブ: way to hit

始動


豊臣秀吉を私はあまり好きじゃない。けれど、備えのやり方についてはとても参考にしている。中国大返しという主君信長が本能寺で打たれてから、明智光秀と戦うまでの移動があった。これが事実だと考えても、岡山県から京都に向かうまでの道のりで、通過する村々で炊き出しが行われたところをみると、その用意周到さには感心する。今でも兵庫県と岡山県の県境の町名に『富』という字のつくものが複数あることからしても、信長の部下でありながら、すでにいろんなことで準備はしていたんだろう。

家康だって、関ヶ原の戦いにおいて小早川を戦いの最中に裏切らせたようになっているが、小早川が朝鮮出兵でヘマをしたときから既に根回しはしていた。それは小早川に限らず加藤清正、福島正則といった秀吉に近い武将にもである。

信長は兵隊の多くが農民で構成されていた時代に、職業としての兵隊を採用して、城の近くに住まわせていた。そして戦いの訓練を日頃からしており、1年を通して戦ができるようにしていた。

準備にも重いと軽いがある。当然重い方がそのエネルギーは高いが、準備には時間がかかりすぐにはできない。軽い方はエネルギーとしては小さいが、直前でも変更や融通がきく。

秀吉も家康も信長もスピードがあった。けれど秀吉の中国大返しをとっても、秀吉の家来の走るのが速かった訳ではないし、馬が走るのが速かった訳でもない。早かったのは戦ってた毛利との和睦交渉と、兵糧や武器などの準備ができていたことが真因である。

早いとは、準備を含めた始動が本当はどこからなのかという真因を見つけないといけないと思う。テニスなら本当に反応の早さか?動きの早さか?テイクバックの早さか?

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目の強さ


目の強さについてレッスンしてる。ボールを見る目が強すぎると腰は固まる。弱すぎると腰が泳ぐ。目の強さは身体全体の動きに大きな影響力があるからだ。問題はなぜ目の強さがコントロールできないかどうかだ。

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剣術の達人が、相手の剣の動きを読みきっているときは数センチしか距離がなくても落ち着いているように、相手の動き、起動、待ちがはっきりしていれば目の強さはいい塩梅を保つことができる。

テニスでは次の3つだと考える。

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仕事には表と裏の仕事がある。明日は裏の仕事に着手する。それと同じように身体の使い方にも表と裏があると思ってる。ただどちらも本質的な要素はとてもシンプルなことなんだと思ってる。

 

 

みんないろいろ教えてね


ムーくんがデスク仕事になって、長時間座ってても疲れないような座り方を研究してるようだ。いろいろLINEでヒントをありがとう。その座り方とつながってるけど、僕は踏み込み方について研究してる。今はもうお亡くなりなられてるから動画で見ることしかできないんだけど塩田剛三さんていう合気道の達人にヒントがあると思ってる。(とくに動画の1分15秒あたりの踏み込み方)


合気道ってのは僕なりの見方として、もっとも位置エネルギーを効率的に使ってる武道だと思ってる(他に呼吸法とかあるけど)

年齢的な衰えを感じてる人は、もういいボールを打てないと思ってる。打てると思ってる人は人で筋力やスピードを追い求めてる。踏み込み方一つで、昔より遥かに威力のあるボールが打てるんだ。そういや負けちゃったけどボクシングの山中慎介(左利き)の左ストレートも右足の踏み込み方に骨があるんだろうと思う。

今週は歩き始めた姪っ子(1歳半)が帰省してくる。歩き方、座り方、踏み込み方というのを駄目なおじさんに教えてね。

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平仮名を書けなかったころ、覚えはじめたころ、書くのが難しかったころの記憶が鮮明な大人は少ない。何せ4歳くらいから7歳くらいまでのころの記憶だから。テニスを教えてて気をつけなければいけないと思うことが、ボールがコートに入らないとか、バックハンドがどうやっても飛ばないとかいうころの気持ちを忘れてしまうところだ。今、いろんなことを教えてることも、あたりまえだけど自分にもできないころがあった。平仮名をあいうえお順に教えると、最初に覚えなきゃいけない平仮名は『あ』になる。けれど平仮名を知らない子供にとっての平仮名の『あ』はテニスでいえば逆に弾むキックサーブから教えるような難しさがある。だから教える側にとってあたりまえのこと、常識的なこと、メジャーなことほど注意しないといけないと思う。そういったものほど、教える側の都合で、すでにできた人の論理である場合が多い。

交差点で車を右折しようと止まってたら、4歳くらいの幼稚園児が20人くらいで横断歩道を渡ってた。先生が「みんな手をあげて渡りましょう」と手を上げて先頭で渡るのだが、手を上げてた子供は数人しかいなかった。なぜ、横断歩道で手を上げて渡るのか。それは子供の背が小さく、運転者から見えづらいためだそうだ。そしたら、4歳の子供に手を上げさせても無意味なんだ。幼児は体系的な特徴として頭が大きく手が短い。だから手を上げてもその目的は達成されないのだ。だから、幼児に横断歩道の渡り方を教えるのであれば、例えば「曲がってくる車の中に乗ってた人は男の人、女の人どちらでしょう」なんて問題を答えさせることによって、運転者がこちらに気づいているか、運転者が見えているかということを伝えることができる。

今日も生徒さんが練習会で「もっと早く構えて」とアドバイスをもらったっていうから、それは違うということの説明をしながらレッスンをした。もうすでにいろいろ出来た人にとっては「早く構えて」で成立するのかもしれないが、まだあたりまえのことがあたりまえに出来ない人にとって「早く構えて」は酷なアドバイスなのだ。

明日は我が子の授業参観日だ。

ビビることはない。堂々と間違えなさい。間違えてるのは先生であり、指導要領でありカリキュラムの方だから。

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優しく 暖かく


最近のレッスンで「ネタじゃないんだけど」って前置きをして「自分の打ったボールは自分の子供だと思って」「すぐに見捨てたらだめ」「どこにいったか知らないではだめ」と言ってる。『ネタじゃないんだけど』っていう前置きは、それがレッスンを面白おかしくするための、うまい言い回しだとか小話ではないということを強調したかった。本当に心の底からそう思ってるから。

ウミガメは一度の産卵で100匹ほどが孵化する。その中で大人になるまで生き残れるのは0、2から0、5匹ほどだそうだ。人間は一度のお産で多くても5人までだ。(もっとも五つごちゃんですら珍しいが)最近の平均寿命が延びたのも、生まれてすぐに亡くなってしまうことが昔に比べて減ったことが一番の要因である。ウミガメの子供は孵化したらみんな散り散りに海に入っていく。それを親のウミガメはほったらかしだ。しかし、人間はそんな育て方をしない。赤ちゃんの頃は母親の24時間ほぼずっと一緒だし、幼稚園や小学校に入っても家族と一緒にいる時間が長い。中学や高校になれば家族で過ごす時間は減るが、基本的に一緒に同居してる。生まれてから15から20年くらいは誰かに見守られて育つのが人間の特徴だ。

人間の生殖器系は女の子で10歳くらいから、男の子で12歳くらいから発達する。けれど10歳や12歳で子供を作ったりはしない。基本的に子供を見守っていく義務があるから親になる準備ができてからでないと産むことが難しい社会になっている。

つまり、人間の子育ては生まれるということに対しての前後(準備と見守る)がとても長いことが特徴なんだ。それがテニスにとても似ていると思ってる。親として子供を作るまでの期間(入射)と子供が生まれてから巣立っていくまでの(発射)という関係性がテニスと一緒なんだ。入射に問題があれば、発射の見送り方にも問題がでる。発射の見送り方が悪いと、次の入射に対する準備が遅くなる。

早すぎてもだめ

遅すぎてもだめ

ちょうどいいタイミングってのは、自然か不自然かという判断になる。だからテニスの指導方法を文書化なんて絶対にできないんだけどね。

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まだまだ


純粋な子供たちが、僕の仕事を見たら「毎週同じこと言ってるね」って言われそうだ。子供は毎週同じことをいわれるとうんざりだから、あまり好ましくないと思われるかもしれない。けれど、同時に子供はいろんなことをいわれるのも嫌いだ。同じこというと「前にも聞いた」となり、いろんなことをいうと「意味がわからない」となる。何かを指導したり、教えたり、伝える、ということは、そういう難しいところがある。けれど、それが最もおもしろいところでもある。

僕のタブレットには、毎日若手のレッスン内容が送られてくる。それを見て、ときには「いつまでこれをやってるねん」と思い、ときには「ころころ内容変えすぎや」と思う。それでレッスンのことについて若手にいろいろいうことがあるんだけど、若手からは悪い意味で「いつもいってることが違う」と思われ、僕は「いつも同じことをいってるのに」って思ってしまう。

「本当に大切なことだけを、いつもいってほしい」と思ってる生徒さんが多いクラスは上手くいってるのだろう。そう思われてないってことは伝わってないんだろう。

まだまだ だなあ。

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保つ工夫


先週は季節を間違えたかのように、昼間の気温は30度くらいになるような暑さだった。おかげで肌は一気に焼けてしまい腕や首筋は真っ黒になってしまった。けれど、身体はまだ疲れていない。同じ30度でも夏と春では違いがある。

時間があればといいながら全然調べれてないんだけど、以前に不可抗力で起こる突発的な怪我(肉離れ、腱断裂)などに湿度が関わっているのではないだろうかと考えたことがある。私の仕事は客商売である側面もあるので、クレームや生徒さんの動きの悪さなどにも湿度が関わっているのは明らかだと考える。湿度とは『快適』という言葉との相関関係が強いような気がしている。人は常に快適な状態を保ちたいという欲求みたいなものがあるが、湿度を一定に保つのが難しいように、人の快適も保つのが難しいものです。

今、テレビで将棋のNHK杯を見ながら書いてる。将棋もお互いに『快適』の求め合いにみえる。湿度と同じで7割以上になれば不快でカビなどの菌が増殖してしまう。一方で下げすぎも不快でウィルスが増殖してしまう。だから、将棋素人の私から見れば攻めてしまえばいいのに、意味がわからない金を引いたり、銀を引いたりという駆け引きが続いてる。

今日はとても天気がいい。昼からは子供たちの野球の練習を見に行く。ただ、この天気はずっと続かない。それは私の仕事もレッスンもテニスも、長男のピッチングの調子も、将棋の対局も…。

ずっと快適を一定に保つことは非現実なんだけど、できるだけ快適の時間を長くする工夫が必要なんでしょう。そのためには何でも上げる、攻めるではなく、時には下げる、引くということも必要なんだと思います。

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車屋さん


今の子供たちに『車屋さん』って聞いたらなんて答えるかな。工場で自動車を作ってる人っていうかな。若者なら車を売るディーラーや営業の人っていうかな。他には自動車整備士やタクシードライバーのことをいうかな。

『テニスコーチ』って聞いたらなんて答えるかな。僕はテニスコーチなんだけど、そんな僕もその答えをはっきりと言えない。僕の子供たちはお父さんがテニスコーチだ。その子供たちは何をしてる人だと思ってるんだろう。

ちなみに僕にとっての『車屋さん』は人力車を引く人って答える。理由は二つあって、一つは美空ひばりの『車屋さん』っていう曲が好きだから。もう一つはその歌に出てくる車屋さんが僕に似てるような気がしてならないから。


ちょいとお待ちよ車屋さん お前見込んで頼みがござんす この手紙

ちょいとお待ちよ車屋さん お前さっぱりお役に立たないお人柄

いろいろ僕を見込んで頼まれることがあるんだけど、あんまり役に立たないこともある。それを馬鹿だと言わず、そんな僕に頼む人のことはもっと馬鹿じゃない。そんなプライドだけが僕の支えかもしれないなあ…なんてね。

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ごちそうさまでした井上くん


久しぶりにボクシングを生で見ながら書いてる。井上尚弥っていう世界チャンピオンを初めてちゃんと見たけど、めちゃくちゃ強い。今まで見た中で一番強い気がする。

ボクシングの右構えというのは左足が前にくる。マイクタイソンも辰吉丈一郎もこの右構えなんだけど、左のパンチが実に上手かった。けれど、井上尚弥はそれをはるかに超えていると思う。しかも、今日は試合中にスイッチといって前足を左足から右足の左構えに変えて強烈な左ストレートを打ってた。結局試合は序盤から左のアッパー、ジャブ、ストレートときて最後はフックでKO勝ちの圧勝だった。

ボクシングを見て、こんなにテニスをしたくなるのは初めてだ。『ごちそうさまでした』ってくらい、目と腰のいい見本を見せてもらった。

明日の俺は井上尚弥になりきってんだろうなあ。

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ボールの見方


前を見ればいい。ターゲットが見えてりゃいい。簡単なことほど深いから難しいことがある。ボールの見方っていっても、目の使い方だけの話じゃすまない。そこには首があり、それをつなぐ肩や胸鎖関節があり、それを腰とつなげる胸、脇腹もある。その腰を動かすのは股関節であったり膝だったりと下半身の使い方になる。けれど、そんな複数の複雑にみえる関係も、実は一つの線でつながっていて、なるようになるものでもある。

わからなかったものが、わかったとなるときは、何かがつながったということでしょう。自分の中でつながるのも嬉しいのですが、他の誰かの中のつながりを手伝うことができるのも嬉しい。逆に自分の中でつながらない、他の誰かのつながりのきっかけを与えてあげれないというのはとても辛いもんです。

テニスでつなげるお手伝いをするのは仕事で、どうやってもわからない、できないと思ってる人をつなげてあげたい。それを見方だけでつなげてあげたい。打ち方はなんでもいいんです。ただ、つながってさえくれれば。

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