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レフティー


このブログで描いてる絵は、生徒さん用の教材としても使うことがあるために、モデルが右利きである場合が多い。けれど、描きたくなるモデルは正直レフティーだ。自分の師匠もレフティーだってのもあるし、テニスでも時代を変えてきたのはレフティーだ。

態度の悪さ、トラブルメーカー、反逆児と悪いところもたくさんありルールや一般常識を基本的に好まない。けれど、そんな悪いところも全て許せてしまうようなカリスマ性や美学が彼らにはあった。

彼らのテニスを見ていると、持ち方も、構え方も、振り方もない。打ち方なんてものは自由だと言わんばかりの自然な動きを見せる。攻め方だって自由だ。むしろ危険な綱渡りのような戦法、コースを楽しむかのように相手を倒す。

ロッドレーバー

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踏み込んで打つ並進運動、球種はフラットおよびスライスという既成概念なんて、レーバーの打ち方にはなかった。オープンスタンスの回転運動を使いドライブ回転で相手をベースラインに釘付けにした。また、フォアハンドだけならともかく、ウッドラケットで片手打ちのバックハンドでもドライブショットで前に出てくる相手をパスで抜いた。ファーストサーブはコースを丁寧につくもんだという時代に、ロケットといわれる強烈なサーブでエースを量産した。

 

ジミー コナーズ

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コナーズも、まだベースラインからエースを取るなんて愚かだといわれた時代に、平然とベースラインからでもエースをとりにいった。とくにフォアハンドよりバックハンドが強烈だった。しかし、このバックハンドも当時は両手打ちバックハンドなんてリーチが狭く、極端に非力なプレーヤーだけが使うショットだという常識を壊してしまった。グリップも変な握りだったが、その変な握り方のほぼワングリップでサーブから、ストローク、ボレーまで全てをこなした。

 

ジョン マッケンロー

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相手に完全に背中を向ける極端なクローズドスタンスからのサーブは、誰もがコースを読むのに苦労させられていた。逆にマッケンロー自身は、相手のコース予測が早く、ネットに出ればマッケンローのいるところに相手が打っているようにしか見えない鮮やかなネットプレーだった。

 

教える側にとっては最も真似をしちゃいけない3人で、見る側にとっては最も美しく楽しい3人でもある。けれど、教える側の私にとっては、本当は真似をすべきことが多い3人で(真似るとこ間違えちゃダメだけど)、最も考えさせられる3人でもある。

そんなこと考えながら、GW休暇明けのレッスン内容を考えてる。

 

 

WOOD TENNIS


唐突ですが WOOD TENNIS とは何なのかを書いてみようかと思います。何の論証もありませんが少し濃いめのコーヒーでも飲みながらゆっくりとご覧ください。

WOOD TENNISとは昔の木を主な素材として製造されたラケットを使って、もう一度昔の古き良き時代を思い出そうとか、古典的なオシャレとしてウッドラケットを使ってみようというようなものではありません。

私は本業でもWOOD TENNIS を教えています。ただ最近の悩みとして、レッスンでは上手くなったり、上手くなったことを生徒さん自体も認識して喜んで帰ってもらうことがあります。しかし次の週やある程度の時間が経つと、上手くなったその技術や戦術を忘れてしまう人が多いことです。これには当然ながら私自身の能力不足があることは否定できません。その技術や戦術ができれば、それを次の週には確認するドリルを入れることや、それが出来たら順番的に適切な課題を与えないといけません。それを私が入れないといけない確認ドリルを抜いたり、与える課題の順番が間違えていたり、飛びすぎで難易度が高すぎたりという失敗で、生徒さんが一歩づつ階段を上がれていないことがあります。これは私自身の問題です。

もう一つ、生徒さん自身にも問題があるのも事実です。それは『物足りなさ』という感覚的な戦いです。例えば、上手くなったということは、今までにない威力、角度、スピードというようなボールが打てたわけです。すると、その威力、角度、スピードといったような軌道が麻薬のように頭にこびり付きます。これ自体は悪いことではありません。これがあるから、自分で闇練習をしたり、出稽古にいったり、一人で壁打ちしたりと自主的に練習したくなるからです。しかし頭の中に強く残っているのは『なぜそのボールが打てたのか』ではなく、今までにない威力、角度、スピードというボールそのものなのです。そのため上手く打てた翌日や翌週には、どこか『物足りなさ』だけが感覚的に残るのです。そしてその『物足りなさ』を取り戻そうと必死になって崩してしまうのです。

WOOD TENNIS とは、この『物足りなさ』が大切なのです。

上手くなったというような、今までにない軌道のボールが打てたということはインパクト、つまりは衝撃が感覚的に残らない打ち方が出来たはずです。実際はそれなりの威力がボールに伝わっているはずですが、上手くいったときの、力の反作用は主に下半身でバランスをとっているために感覚的には何の力も使ってないような感じになっているはずです。逆に上手くいっていないときは手に衝撃を受けるはずです。インパクトという言葉までは否定しませんが、衝撃は下半身でバランスを取っており、手で受けるのは不自然です。ですから絶対にボールを『叩く』『振る』『擦る』『しばく』という概念は間違えていると思っています。

ただし『叩く』『振る』『擦る』『しばく』という表現は間違えていない可能性もあります。それは私がトップ選手といわれる世界を知らないからです。世界のトッププロだけに関わらず、国内のプロ選手のような試合の勝ち負けで飯を食っている世界のテニスを私は知りません。見たことくらいはあるのですが、最近のトップ選手を見てると『叩く』『振る』『擦る』『しばく』というインパクトをしているような気がします。(全員ではありませんが)この最たる原因がラケットの進化があることは間違いありません。

最近のラケットはグリップ側の極度な軽量化でトップヘビー化し、手でインパクトを受けても衝撃を和らげる工夫がなされています。そのうえフレームは硬くなって、当てただけで飛ぶようになっており、『叩く』『振る』『擦る』『しばく』というインパクトの方がボールが食いつくようになってコートの中に収まるようになっています。

WOOD TENNIS はこの流れに否定的なのです(トップ選手は構いません)。手で衝撃を受けてしまう人に、その衝撃が伝わらないラケットを使って改善するのではなく、手で衝撃を受けない技術を身につけ下半身(腰)を主に使った方が機能するラケットや、その技術を身につけることが、テニスをする人の多くを幸せにすると考えています。

テニスにおける道具の進化とは、本当にテニスをしている人を幸せにしているのでしょうか。優れた道具というのは棘があると思っています。ノーベルの作ったダイナマイトは工事のスピードを飛躍的にあげましたが、見方を変えると人を何人も一気に殺す道具にもなりました。インターネットやパソコン、スマートフォンのおかげで、何もかもが効率化されたはずなのに、紙の時代の方が忙しくなっかたような気がするのは私だけでしょうか。道具の進化に否定的なのではありません。テニスはウッドラケットでするべきだとも思っていません。ただ道具というのは誰がどのように何を目的で使うかによって大きく変わってしまうものです。一般的に優れた道具というのは、優れてない人でも使えるという裏の真実を忘れてはいけないと思います。

本当にインパクトがあればナイスボールやナイスな展開になっているでしょうか。『物足りない』がナイスボールで次も動ける。そんな少しの見方を変えると見えてくる新鮮な世界、これこそがWOOD TENNIS だと思っています。

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順番で幸せになる


いろんな事柄には順番というものがあります。守らなければいけない順番もあれば守らなくていい順番もあります。それらの順番は、それぞれの目的があって成り立っており、10手順の中の一つだけの順番違いだけで最後に導かれる答えが大きく変わってしまうことがあります。また、正しいとされる順番が前提条件などによって途中で変わる場合もあります。

それに加えて順番というのは、どこかで間違いがあったり、完成してないところがあったりしたまま進み続けると、順番そのものは正しくても結果は不正解であったり、どこかで破綻してしまうこともあるのです。他には複数の正解がある順番もあります。例えば『A→B→C→答えX』となるものと『A→E→F→答えX』という順番で同じ答えに導かれることもあります。

そして、最後は順番の手順をいかにシンプルにできるかという究極の目標が控えています。人が10手順かかるところを9手順で解決できるところに価値というものがあります。これを人よりシンプルに出来ている人というのは限りなく本質を理解している人ということになります。

正しい順番、シンプルな順番は人を幸せにします。

追い込まれることはありません。むしろ自主性が芽生えます。不安になることもありません。むしろ自信に変わって行きます。憂鬱な表情をすることもありません。間違いなく笑顔が生まれます。

 

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わからず屋


私が子供だったころ、よく周りの大人から「わからず屋」といわれました。今でもあまり変わりません。それよりもはっきりとわかったことがあります。それは僕のことを「わからず屋」って言った大人があまりわかってないということです。それも僕のようなクズの大人であればいざ知らず、お偉いさんと言われるような人たちもよくわかっていないことです。

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たまに生徒さんから「コーチのおっしゃられてることは昔と全然違いますね」と言われることがあります。「そうですか」と惚けて流すのですが、内心は「昔のテニスを教えてる」と思っています。(なんせWOODTENNISですし)雑誌やテニスコーチの売り文句では『最新技術』なんて言葉を枕に付けると効果があるのかよく見かけます。たまにそんな記事に目を通すこともあるのですが、何が最新なのかわかりません。むしろ古すぎると感じてしまいます。何が変わって何が変わってないのか全然わかっていません。

道具は確かに進化していますが、本当に最近のラケットはよく飛ぶのでしょうか。ちなみにボールはわかりません。1960年代やその前は今とは硬式ボールといえども大きく違うような気がします。人間の身体の構造はどうでしょうか。200万年前のネアンデルタール人の骨格ですらほぼ同じですし、400万年前のハビリスやボイセイくらいまで遡れば骨盤の形が見た目にも違います。1970年代と何が違うのでしょうか。

こんなこと言うから、わからず屋って言われるんでしょうね。

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整理整頓


最近になってまたiPhone所有者になった。前に使っていたときはiPhone4だったようで今は7になっているようだ。今は完全な浦島太郎状態である。とくに常識的な連絡手段らしいがLINEを知らない。自分でやろうと思ったがわからず、若い子たちに登録してもらった。何やら携帯を振ったり、バーコードを写したりとしていると、ほんの数分で「終わりましたよ」と言われた。また、当時は母艦のmacにつないで同期させるというような作業が必要だったような気がするが、今はiCloudなどであっという間に同期してしまうようだ。

とにかく何でも自動的に勝手に整理したり共有できたりと、その便利さにAppleOSの凄さを感心してしまうばかりだが、それを考えると自分の不整理さに気づいてしまう。何が整理できていないかというとラケットである。

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この画像は前のマンションの玄関である。結構広かった玄関だったがそれをラケットが完全に占有していた。今は子供部屋と実家のクローゼットで50本づつくらいに分散させて置いている。当然ながら、そのどちらがわからも邪魔だからどうにかしてほしいとの要望があるのもわかってる。結構価値のあるものも多いんだよとは言っているのだが誰も信じてくれない。ちなみに私の身に何かあれば、遺産として嫁に50本、息子2人に25本づつという遺産相続まで考えているのだがすぐに捨てられそうなのが現実である。

本当は自分のオフィスや書斎があり、そのデスクの後ろにこんな棚を作りたいなんてことは妄想はしたことあるのだが。(日曜大工とか不得意なくせに)

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ちなみに、織田信長の屋敷は物が少なく非常に整理されていたそうだ。都合のいいことしか学ぼうとせずに、苦手なことには目をつむる。それもまた人間らしくていいじゃないかと思ってる。

 

 

 

 

 

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