運んで見つける第三の選択


江戸幕府は薩摩藩と長州藩が同盟を組んで倒したとされている。けれど薩摩藩と長州藩だけでは幕府は倒せなかっただろう。やはり坂本龍馬が先見性のあるリアルな形勢判断をしたおかげで明治維新があったのだと思う。薩摩藩も長州藩もそれぞれにポテンシャルの高い藩であったことは間違いない。ただ、思想といい行動力といい元気がよすぎてとても偏ったところがあったのも事実である。だから、歴史上の大きな出来事として扱われてないけど、薩英戦争や下関戦争といった外国との無謀な戦争でボロ負けしているという事実がある。

これとよく似た形として、テニスのダブルスにおけるハイボレー展開というのがある。自分側だけの形勢判断として有利だと勘違いして、ハイボレー=チャンスボール、絶対的有利という偏見を持ってしまう人が多い。浮いたボールは全てがチャンスだと叩いてばかりいたのでは薩長と同じでボロ負けしてしまう。そこで坂本龍馬の形勢判断を自分の体の中に入れてあげないと勝てない。

例えばこんな場面。

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相手の足元に落としたから浮いてきた。本当に軌道が見えていて入り込めてるなら打っていいときもあるが、どんなときもそんなベストな状況であるとは限らない。しかも、相手は沈められてしまったがために浮いたわけだから、それなりに次はディフェンシブに待たれる。打ち方もよく見られてる。また、自分側もサービスライン上であり、抑えて打つにはネットの高さが気になってしまう冷静に考えると難易度が高いショットなのだ。

坂本龍馬的な形勢判断がないと、意味なく叩いてしまう。たまにそれで決まったりするもんだから余計に理解できない。しかも、相手はディフェシブだから手前にバウンドしてストロークのように処理されてしまう。要はいろいろと危ないのだ。

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これはまさに薩摩と長州が、槍や鉄砲で最新鋭の長距離大砲を持ったイギリスやフランスと戦って勝てると思ってたほど愚かなことである。そこで最近のレッスンでやってるのが、この場面で相手にハイボレーさせるという展開である。

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要点はサービスライン上のハイボレーを、相手にハイボレーさせるということではない。それが絶対的な正解ではない。坂本龍馬の最も優れているのは、理想論と現実論の狭間で二者択一ではなく第三の選択を探す努力をしたところにある。大政奉還は龍馬の第三の選択だし、龍馬が殺されてなければ戊辰戦争で多くの犠牲者を出す必要がなかったかもしれない。つまり坂本龍馬は叩くという行為が最後の最後であり、基本的に運ぶという選択肢を探し続けた人なのだ。

龍馬に理解のある中岡慎太郎でさえ、龍馬のやることは生ぬるいという不満があったようだ。もっと一気に叩いてしまえばいいのにと思われていたそうだ。その龍馬を殺す必要があった人物は、龍馬に並ぶ形勢判断のできた人物であるのだろう。並みの人間では龍馬のやろうとしてることがどういうことかなんて理解できない。

本当に気をつけなきゃいけない攻撃とは、叩いてくることではない。運ばれてくるときだ。

 

 

 

普通のレッスン


普通のテニススクールで、普通のテニスコーチならボレーはコンパクトにセットして振らない。「ほら、振ってないのに飛ぶでしょ」ってデモンストレーションをやるのが普通だ。僕から見たらそれは詐欺でしかない。僕の普通のボレーはコンパクトにセットはしないし、スウィングする。これが普通のボレーだ。

今週は偉い人と打ち合わせがあったけど、社会人として普通の計画の立て方、見込み、予測は僕にとっては詐欺でしかない。これが普通なら間違いなく破綻の道を進むことになる。

将棋の朝日杯オープンの対局見てたら、解説者が「普通は4ニ銀ですけどね」って次の手を読むんだけど中盤以降はほとんど当たらない。普通にやると負けてしまう世界なんだけど、羽生さんはその普通の手を指さないで勝ち続けることが普通になってる。

このブログの内容は常々物語であると言ってきた。その物語こそが普通の正体であり、物語を書いた作者の中に普通は存在する。そして普通は当たり前ではない。当たり前にするには練習が必要だ。自分の世界の中にある普通を当たり前のものにしていかなければいけない。

明日も普通のレッスンがしたいなあ。

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忙しいのに


レッスンのボール出し練習では上手く打てるようになってきた。けれどラリー練習やゲーム形式になるとそれが使えない。そこで使えてなければ試合では出来ない。試合でできないということは率を上げる練習ができないから、プレッシャーのかかる公式戦ではもっと使えない。その山登りの中で橋のない大きな谷底があるから停滞してしまう。

ファーストボレーが良かったら、次のセカンドボレーも合うようになってきてる。猪木待ちからのスマッシュやハイボレーも上手くなってきてる。けれど序盤の展開が上手くいかない。いや、その上手くいかないと思ってるのが私だけで生徒さん側がそれに気づいてない。だから谷底に落ちてしまうんだ。

そこで私が考えているのが、形勢判断のやり方だ。生徒さんのほとんどが序盤戦の形勢判断を過大評価して間違えてる。今日のレンタルコートに来てた生徒さんたちを見て確信した。生徒さんたちは生徒さんたちの中でいいプレーがあって喜んでるんだけど、私から見た形勢判断では、全然有利な状況を作れたわけじゃない。それが見えてるから、いいボールでナイスポイントしても、その前のことにダメ出しするから、生徒さんのホッペを膨らましてしまい、口を尖らせてしまう。

じゃあ少し私の中の形勢判断を紹介させてもらう。

まず、テニスというスポーツはコントロールするということが容易ではない。だから他人のプレーを見てると、いい打ち方したとか、ボールに勢いがあったとか思っても、打ってる本人としては多かれ少なかれ、少し差し込まれており、たまたまボールが深くなってたとか、少し慌てて引っ掛けており角度がついてしまったというように、いつも想い通りにコントロールできてるわけではない。そんな中での、よくあることとして雁行陣から前並行陣をとるアプローチ、ファーストボレーの中での形勢判断をしてみる。形勢判断の基準は次の通りである。

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まずは、少し打ち方的に始動が遅れて思ったより深くなった。けれどなんとかアウトせずに済んだようなアプローチが打てた場合。

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実は思い通りにコントロールできたわけでもないのに、ここで有利だと形勢判断してる人が多い。例え深いボールで相手の状態が良くないにしても、次に迷いもあるわけだし、思ったより自分のボールスピードも出てる分時間に余裕もない。しかも、上手く合わせられたら、結構速いボールが返ってくる可能性もある。また、相手側の形勢判断を考えるとこっちが狙い通りかどうかは別にしても、深いボールであることには違いないから互角以上にいい状態だとは形勢判断しない。だから、次にこっちからあまいボールがくるとは考えてない。そのためこっちの打ち方を見てくるだろうし、ややディフェンシブに待たれる。そんな中でも決めれるようなボールが打てる身体能力があればいいが、そんなのアマチュアレベルでは持ってない。こう考えていくと、この場面での形勢判断は互角はおろか、やや不利であるという位置付けにすべきなのだ。

じゃあ、それで次のファーストボレーをどう考えるか。

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次のファーストボレーでも、形勢判断的にはやや有利という位置付けに持っていけたらいいくらいに考える。それは仮に浮いてきたとしても、コース的に自分の前に飛んできても同じである。形勢判断的に互角付近の位置づけから、かなり有利、勝勢まで欲を出してしまうと迷うし見えなくなる。また、仮に思ったより有利方向に位置付けを動かせるかどうかの判断として、相手側の形勢判断が不利から互角、もしくはやや有利と思わせるような展開になれば、切り返していいときもある。

では続いて、ある程度スピードは抑えたが、コントロールとしては思い通りのアプローチが打てた場合はどうか。

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この場合でも形勢判断としての位置付けは互角、やや有利程度である。むしろ、こういうコントロールを優先さした展開では、相手の形勢判断を誤らせるという目的がある。自分としては互角なのだが、相手にとってはスピードもないし、厳しい角度を付けられてるということでもないから、むしろ相手側にとって有利だと思って、打ってきたり、センターへついてきてくれると、こちらが有利になる。

そういうこと考えながら、次のファーストボレーはどうするか。

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ここもいい形であったとしても、有利になればいいくらいのファーストボレーになる。一気に勝勢になんて欲は出さない。でも、相手の形勢判断が有利な方に誤って位置付けされていたら、そのボールがウィナーやエースになることがある。けして、勝勢に一気に持っていこうとしたウィナーやエースでないことを理解すべきである。

それでは最後に、スピード、コースといい完璧なアプローチが打てたらどう形勢判断するか。

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答えはそれでもやや有利くらいに考えるべきだ。理由は相手側の形勢判断にある。これに関しては、この状況での負けを相手側も認めてる。この劣勢状態からコツコツと互角に戻すのが難しい状況であるため、ここでは一か八かの大きな形勢判断の位置付けが変わる切り返しを狙ってくる。そのかわり相手側は次の準備が遅れるわけだから、次に会心のショットなんて打てなくていい。だからこんな場面においても過大評価する形勢判断をすべきではない。

書き出すと止まらなくなるが、仕事がいっぱいたまってる。これくらいにして、この形勢判断をどうやってレッスンで落とし込むか、この土日で考える。路地人さんから電話もあったし、はやぶさ君が胃腸炎になるし、特別プライベートレッスンの抽選してないのも生徒さんに急かされたし。

忙しいのに…。

 

 

 

 

時間の使い方


書類系の締切というものにとてもルーズで、偉いさんに疎まれてる私では説得力に欠ける話であることは、最初に言っておこう。結論からいうと、時間の使い方において最も大切なことは『締切』ではない。どこに『ゆっくり』『ゆったり』という時間をどれだけ使えるようにするかが最も大切なことである。これを本当は締切をちゃんと守る社会的に立派な人間がいえばもっと説得力があるのではあるが…。

X JAPANというロックバンドがいる。彼らは…と言いたいところだが、X JAPANというバンドを経営してたのはYOSHIKIである。YOSHIKIは『締切』ではなく、どこに『ゆっくり』『ゆったり』とした時間を使うかということを重視して、ロックミュージックの世界で天下をとったバンドであるとも言いかえることができる。

そのX JAPANを紐解く中で着目すべきが、いわゆるメジャーデビューする前のインディーズ時代にある。まずYOSHIKIはメンバーも定まらない頃に、自身のレコード会社を作っている。また、ロックミュージシャンはそのイメージに神秘性を持たせるためにテレビに出ることを控える風潮があった中で、当時の人気お笑い番組『天才たけしの元気がでるテレビ』に出演したりと、これまでの既成概念というものを無視してきた。そこで知名度を上げて自分たちの曲を聴いてもらう機会を作り、メジャーデビューできる当時の基準でもあったインディーズで1万枚という売上枚数に達しながらも、中々メジャーデビューはしなかった。そのうえ、ライブで会場を満員にできたにも関わらず、ライブに来た人に、当時としては珍しいミュージックビデオを無料で配っていた。おかげでYOSHIKIを含むメンバーはときにアルバイトで日銭を稼ぎながら、ライブやCDの売上のほとんどをミュージックビデオ制作の費用や、ガソリンなどでライブごとに燃やしたり破壊するドラムセットなどの費用にあてられるという自転車操業的な経営をしていた。

これがYOSHIKIの時間の使い方である。まず「メジャーデビューさせてください」と言うのではなく、大手レコード会社から「うちでメジャーデビューしてください」と言わせたところに一つ目の勝因がある。1万枚売れたくらいでメジャーデビューしてしまうと、CDの発売日やそれに関わるプロモーション費というのはレコード会社主導で決められてしまう。いずれはロックバンドでもミリオンセラーして、日本を代表するようなロックバンドになることが夢でも、レコード会社からするとそこまでは当時のロックバンドごときに望んではいなかっただろう。だから良くて5万枚くらい売れるアルバムが一度でも出ればいいだろうくらいにしか考えてもらえない。流行に敏感な音楽業界でロックバンドなんかがミリオンや何十年と音楽の世界に残り続けるはずがない。だから、テレビで少し知られて、数万枚売れる間に使い切ってしまおうと考えるのがレコード会社である。また、メジャーデビューした最初のアルバムが60万枚以上いきなり売れたために、レコード会社としても重要なアーティストになってしまった。そのために発売日やライブの日程などを主導で決めれなくなってしまった。通常であれば年に3〜5枚のシングルと二枚ほどのアルバムを出させて、流行が消えてしまわぬうちに出せるだけ出してしまわせる手法のレコード会社が、X JAPANにはそれを強要出来なかった。そのため、YOSHIKIは3〜4年に一度というようなペースでX JAPANのアルバムを制作したかと思えば、突如一曲が30分ほどある曲を発売したり、制作活動に煮詰まって勝手にソロ活動したりとやりたい放題だった。つまり、YOSHIKIは自分の作品を作る時間だけは誰にも邪魔されず『ゆったり』『ゆっくり』を確保し、締切というものはあっても自由に操作してしまえる状況を作り出したところに勝因がある。彼が音楽制作をする場所を海外にしたことも、レコーディングするスタジオさえも自分で購入したことからも、それを重視したことは明らかだろう。

話は変わるようで変わっていない。この概念を今日はレッスンでレディースの大会に出てる人から6歳の子供まで伝えた。力の入るところや、体の前でとか、いわゆる一般的に正しいとされる打点(締切)ばかり考えているからだ。それを失礼ながら帳尻合わせと呼ぶんだよ。大切なのはそこじゃないんだ。どこに『ゆったり』『ゆっくり』という時間をどれだけ使えるようにするかなんだ。

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ダブルスでナイスポイントがあると、ペア同士でハイタッチをするときがある。このハイタッチをただ手と手を合わせようとしても上手くいかない。必ず相手の手を捉えるための予備動作が入ってる。この予備動作なしにハイタッチしようとすると誰とやっても息が合わない。

僕は性格的に短気なところがあり、昔から手足が出てしまい方方に迷惑をかけたことがある。昨年の忘年会も後輩の段取りの悪さ、お店のドリンクが出てくるタイミングが悪くイライラしてた。そんな僕だけど、テニスでは短気じゃなくなった。味方ペアだけじゃなく、相手ペアともお友達になるように心がけてる。そうすれば、味方ペアとのハイタッチのように、相手からのボールも捉えることができる。それは手の適切なタイミングでの予備動作が入るから、ゆったりとタイミングがとれ、力みがなく、肘が抜けて、手首が入る。

漢字の『友』という字の由来には、『右』という字を二つ重ねてるという意味がある。右手と右手が合わさってるんだ。それはハイタッチや握手という姿があり、それが合うから『友』なんだ。だからみんなナイスポイントの後のハイタッチは手首が適切に入ってる。けれど相手からのボールには手首が適切に入ってない。その答えは簡単だ。『友』になれてないからだ。

ペアだけじゃないよ『友』になるのは

相手ペアも飛んでくるボールも

だから絶対に叩いちゃいけない

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肩→アキレス腱→左腰→左手


テニスの打ち方の指導で『肩』のことをいう人コーチが多いように思う。打ち方で『肩』の動きや位置をアドバイスすること自体が間違いとは思ってない。けれど、その『肩』のことをいうところのもう少し深い部分が知りたい。ちなみに僕は『肩』のことをあまりいわない。ただ最近になって『肩』と視野に大きな関連があるように思ってる。今までは視野といえば『肩』より『首』だった。

肩、肩、肩…と考えてたら、それどころじゃなくなった。昨日のコーチ同士の練習会でアキレス腱付近を痛めてしまった。ダブルスマッチにシングルスもやり、マッチポイントをとってからの逆転5ー7で負けちゃったけど、バックハンドのスライスが好調で、我ながら素晴らしい左から右への体重移動でボールが重くすべってた。そのシングルスが終わって、他のコーチと軽くラリーしてたら、とくに激しい動きでもなく、捻ったわけでもないのに、バックハンドのスライスを打つときの右足に体重をのせにいったところで「グニュッ」とした音のような感覚の痛みが走った。夜も若い子の研修でオンコートで指導してるときに、痛みがひどくなってることに気づいた。そして帰ってお風呂に入ったときに、アキレス腱付近が内出血してるのを見つけた。

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痛みは何もしてなければさほどでもないが、ちょっと嫌な予感がしたので珍しく病院へ。レントゲンもとってもらい、いちおうアキレス腱、骨には異常がなかった。ただし、どこかにぶつけたわけでもないのに、この部分の内出血は珍しいと医者に言われた。アキレス腱付近の毛細血管が切れてるようだ。(何かわかった人は教えてください)

僕の意識が『肩』から『アキレス腱』と移り、その右側をかばって夜にテニスしたために『左腰』が痛くなってきた。そしたら、トニー君に「オンコートで左手の使い方を教えてくれ」といわれたので、今日の夜にオンコートで研究会をする。

今は人体模型とにらめっこしてるとこ。

 

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昔、僕のUSBには『nobunaga』という名のファイルがあった。僕自身は学がないから、賢い子たちに頼んで作ってもらったシート(複雑な計算式やシートプログラミングしてあるもの)があった。タダで作ってもらう代わりにバックハンドの逆クロスへのハイボレーを教えてあげたっけなあ。

 

「これから言う年月を紙に書け」

と信長は居並ぶ母衣衆を前にして言った。

「天文二十二年八月、弘治元年七月、弘治三年八月」

「分かるか」

と信長が簡潔に問いかけた

「川中島での三度の戦いかと存じます」

と佐々成政が答えた。

「左様。他に何か気づかぬか」

と信長が言うと

「全て夏頃か初秋と言えるのでは…」

と合戦名や季節だけで信長は納得せずに、多少機嫌を損ねはじめる。

そこで末席に座る木下藤吉郎が答えた。

「すべて農閉期でございまする」

 

これが若き日、信長の部下育成研修の一部である。火縄銃の玉交換の時間計測、槍の長別による戦いの有利不利など全てにおいて現実を素材にした実験を行い、敵軍の情報を集めすべてデータとして把握し分析を行う。この情報処理能力を信長だけでなく部下にも求めた。

秀吉や家康は信長から、この情報処理能力(アルゴリズム)を学んだのだと思う。ただ、あくまで段取りであり手順という手段でしかなく、それを天下統一という目的のみに使った秀吉、徳川家の永遠の繁栄のためにだけ使った家康ということで、目的は不純であっても情報処理能力があれば、その目的を達成することができるということを信長は証明して見せたんだと思う。

信長は歴史の授業で教えるべき人物ではない。算数と理科と体育の授業で題材にすべき人物なのだ。ましてや小学校からプログラミングを教えるのなら、いうまでもなく。

追伸:

路地人さんだけが見抜いてるんだろうけど、テニスだけでなく最近の僕の捉え方が下手になったのも、サーブが怖くないのも、僕の昔の信長のような目をしていないからだろう。

 

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芸の浅さ


年末に昔お手伝いしてくれたコーチも呼んでテニスをした。25歳以上のオールドチームと25歳以下のヤングチームで団体戦からスタート。若者のボールは速く来年に40歳になる私はますますボールが見えなくなってきてることを感じながらのプレーでした。けれど、見えなくなった分、見えるところも増えてきており、接戦を制しました。その後も若い上手いどころを見つけて試合をして、これまたボールは全然見えませんでしたが、見えてるところ勝負でタイブレークの接戦の末に勝利。

試合は全勝で気分良くタバコをすってたら、路地人さんに一言「下手になった」といわれた。若い子たちは上手くなったと褒められていたが…。しかも一番最近よくなってきたと思われるサーブについては真反対の意見だった。

大晦日は紅白歌合戦を家族で炬燵に入りながらゆっくりと観た。歌の最中にけん玉のギネス記録に挑戦するという企画に代表されるように、派手なインパクトがないと数字が取れない時代背景を考えつつ、Xjapanのyoshikiだけは浅いサプライズでのドラムなんて見せずにクラシックなピアノソロでも10分くらい弾いてほしかったものだ。ほとんどの歌手に芸の浅さがみえ、余興の渡辺直美のダンスの方が深いくらいだった。でも楽しみにしてた三浦大知だけは芸に深さのあるものを見せてもらった。

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仕事の方では、今年も紅白のけん玉企画のようなものをやれといわれて断固として拒絶してまた嫌われるんだろうけど、そんなことより下手になったといわれた捉え方とサーブと深く向き合っていかないといけない。年始も身内のコーチ同士の練習会からはじまる。レベルもこっちの方が高いから何か深いものが見えてくるかもしれない。

仕事の方では昔の紅白を取り戻す。司会はアナウンサー、演出は生演奏、生コーラス、花吹雪、野鳥の会だけでいいじゃないか。

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身をもって理解する


年末に生徒さんに渡す季刊誌の特別号として、レッスンで伝えてることをまとめた手引書を渡す予定だった。冊子を作るためにたくさんのカラーコピーした用紙まで準備できてたんだけど、配布しようとしてる直前にキャンセルした。内容としては申し分ない出来かと思ってたけど、直前になって、なんか自己満足みたいな感じがして、それが生徒さんにとってのレベルアップや目標達成につながらないのではないかという不安が見えてしまった。

人に何かを伝えようとすれば、どうしても側面としての表面になってしまう傾向がある(これは自分だけでなく) それがひどくなるとただの建前であったり、心殺したマニュアルのようなことになる。本当に大切なことは、伝えようと思った表面が、なぜ決定、判断されたのかという過程の方に深さがある。すでに人によって公開されてる文章や言葉というもののほとんどが、その人が得た氷山の一角にしか過ぎず、見えない海面下にその本質が隠れてる。

ある物理の先生が授業で、氷砂糖を何でもいいから小さくできるところまで小さくしてごらんという課題を出したそうだ。それで可能な限り小さくしたものを顕微鏡で見せたそうだ。それで何のオチもなくそれだけで授業を終わらした。それを受けた生徒の1人が、数年後の同窓会であれはどういう意味でやったのか聞いたそうだ。するとその先生は「どんなに小さくしても原子ほどにするのが難しいということをわかってほしかった」と答えたそうだ。原子の大きさが0、1ナノメートルなんて教えるんじゃなく、身をもって理解させる裏側の授業をしたその先生がすごいと思った。

身をもって理解するには二つの方法しかない。

一つ目は痛い目にあうまでやり続ける。

二つ目は自分以外の人に興味を持つこと。

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子供から学んだこと


僕らの仲間内ではレッスン中に『揚げ足取り』のアドバイスをしちゃうことが悪になってる。これを言いはじめたのは仲間の路地人さんである。いつもおかしなことばっかり言ってるけど、たまに心に突き刺さるいいことを言う人で、そのいいことの中の一つである。それを聴いてどう解釈してるのかはそれぞれの世界観だから何でもいい。そう考えてたらムーくんがあるコーチに、子供のレッスンのことでラインにアドバイスを送ってた。それを観た僕は、そのコーチでは、その言葉の意味がわからないのではないかと思い、自分の世界観の中の『揚げ足取り』に関する意味をラインで送った。

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『揚げ足を取る』という意味を調べれば 言葉尻や言い間違いといった ちょっとした失敗などを取り上げて責めること というようなことが書かれている。確かにそいう意味で誰もが解釈してるけど、もう少し深く掘り下げると、人によってその解釈や世界観というのは違う。

なぜ『真似すること』が大事なのかは、この人それぞれの解釈や世界観を、真似してる人の世界に入り込んで冒険することにある。その冒険の後にもう一度真似したものが本当の自分の姿である。

これが、僕の子供から学んだ大切なことの一つ。